みことばの糧1226

『裁かぬ神の愛』

ヨハネによる福音書8章1節~11節
 「姦通の女」への赦しに学びます。それはもうイエス様の十字架が近づいている時のことです。イエス様による癒しの奇跡、力に満ちた福音の説き明かしは、多くの民衆の心を動かし、従う者がどんどん増えていきました。そこで、ユダヤ教指導者たちは、イエス様を殺害しようと謀りますが、決定的な証拠が見つかりません。安息日における癒しの奇跡でなんとかしようとしましたが、誰の目にも愛の業なので、阻まれてしまいました(ヨハネ福音書5章)。
彼らはイエス様を逮捕するように下役に命じましたが、下役たちでさえ、「今まで、あの人のように話した人はいません」と帰ってきてしまいました(同7:46)。
業を煮やした指導者たちは、姦通の現場で捕らえた女を連れ出し、イエス様を「モーセの律法による処刑」(レビ記20:10)か、「愛の業」か、天秤に掛けさせようとしました。
安息日における病の癒しと違って、明白な罪については、イエス様でも如何ともし難いと考えたのです。
 イエス様はお答えにならず、「かがみ込み、指で地面に何か書き始められた」とあります。指導者たちは、「してやったり!イエスでも、どうにもできないことがある、こいつは神の子でもなんでもない!」、そう言いたかったので、「しつこく問い続けた」のでした。
 すると、イエス様は身を起こして、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われ、「また身をかがめて地面に書き続けられた」のでした。
 この言葉によって、年長者から一人また一人と立ち去り、ユダヤ教指導者たちまでもが去って行ったのでした。なんという大逆転でしょうか。本来、誰も人を裁くことなど出来ないのです。人の罪を裁くことができるのは、ただお一人、神の御子イエス様だけです。しかし、「イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。』」
 「御子を信じる者は裁かれない。」(ヨハネ3:18)。罪を赦されたのはこの女の人だけではありません。私たちも同じように赦されているのです。イエス様の愛に満たされて、一人でも多くの人に御救いの福音を宣べ伝えることができますように、伝道に仕えることができますように共に祈り合い、力を合わせて参りましょう。  ハレルヤ!

中島 聡牧師