『栄光の姿に変えられる』
ルカによる福音書9:28~36
イエス様の「栄光の変容」に学びます。フィリポ・カイサリヤ地方からさらに北上し、ヘルモン山に登られた時のことです。イエス様はペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて行かれました。そこにおいてイエス様の顔が太陽のように輝き、身につけておられた衣も、どんなさらし職人の腕にも及ばないほど、光のように真っ白に輝いたのでした。
さらに驚くことには、モーセとエリヤが現れ、イエス様と三者で話し合われたというのです。その内容は、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について」、すなわち迫害と受難、十字架による死、私たちの罪の全き贖い、そして私たちに永遠の命を約束する三日後の復活についてです。
このことについて、イエス様は既に弟子たちにお話になっていたのですが、ペトロ、ヤコブ、ヨハネは、理解できていませんでした。
ペトロは、思わず「ここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのために」と進言しました。この仮小屋は「神の箱(十戒)」を安置することができるものを想起してのことと思われます(サムエル記下11:11)。
これに対してイエス様はお答えにならず、マタイ、マルコでは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことを誰にも話してはならない」と命じられました。
そして、天からは「これはわたしの(愛する)子、選ばれた者(わたしの心に適う者)。これに聞け」という声がありましたが、なおも弟子たちはイエス様の御教えに聞くことはできませんでした。そのため「悪霊につかれた子」を癒すことができず、なおも「誰が一番偉いか」を論じ合うのでした。
イエス様は、「人の子」が「神の子」であることを知らしめるために、モーセとエリヤの姿を見せてくださり、弟子たちに三度も十字架と復活を預言されましたが、それでも信仰を得ることはできなかったのです。しかし、復活のイエス様に出会い、すべての罪の赦し、神の愛に包まれた弟子たちは、世界に福音を宣べ伝える者となりました。「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(Ⅰコリント13:13)
主の愛を信じる時、私たちも永遠の命を与えられ、栄光の姿に変えられるのです。ハレルヤ!
中島 聡牧師