みことばの糧1245

『主の選びに従うのが信仰』

サムエル記上26:21~25
  晩年のサウルがダビデの命を狙って荒れ野を行く場面です。しかしこの二人、共に主なる神さまによって選ばれた器、油注がれた者でした。
 それはダビデが「今日、わたしがあなたの命を大切にしたように、主もわたしの命を大切にされ、あらゆる苦難からわたしを救ってくださいますように。」(サムエル上26:24)と語ったように、お互いが主なる神さまから守られる存在であるということです。
 そして私たちも、主なる神さまから選ばれ、聖霊の油注ぎを受けている者です。私たちが受けている油注ぎは、どのようなものでしょうか?それは聖霊による油注ぎです。
 それは、罪に支配された世から選び出され、聖なる神さまの御国に属する者となった印です。神さまの子どもとなり、この世にあって神の御国を形作る者とされたのです。
 そのことを使徒パウロはこう言っています。「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。」(エフェソ1:13)。私たちは油注ぎを受け、聖められ、神さまに仕える王・祭司とされたのです。
 その恵みの油注ぎを受けた者は、神さまを第一とし、神さまを畏れる者として歩みます。私たちが立派だからとか、何か賜物があるから選ばれたのではありません。私たちに一切の理由はないのです。にもかかわらず、神さまが一方的に私たちを選び、愛し、救ってくださいました。
 父なる神さまの選びは、主イエスが良く語っておられます。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。…互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(ヨハネ15:16-17)
 選ばれた者はどう歩むべきか、選びを尊ぶにはどうすべきか、が示されています。実を結ぶこと、父なる神さまに祈ること、等も言われていますが、一番は「互いに愛し合いなさい」と言う所にあるでしょう。
 真の愛なる神さまからの選びを尊ぶためには、私たちも神さまを愛し、互いに愛し合う必要があることを示されます。父なる神さまに心から仕え、隣人を自分のように愛して歩んで参りたいと願います。ハレルヤ!

片平貴宣牧師