『主に仕える誓願』
ダニエル書1:17~21
「主の年2026年おめでとうございます!」
漢字では「御目出度う」、元々は「芽出」、新しい始まりを祝う気持ち、または、「愛(め)で甚(いた)し」、はなはだ慈しむ気持ちからの言葉と言われています。
聖書では、天使がマリアに「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」(ルカ1:28)と告げています。「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる」(イザヤ11:1-2)。まさに「芽出」たい預言の成就です。
教会では「主の年○○年」と言いますが、それは、イザヤの預言の通りに、母マリアよりイエス・キリストという「救いの芽」が誕生したことを意味しています。マリアもヨセフも、羊飼いも博士たちも、この救いの芽を愛おしみ、慈しみ、守り抜きました。
神はアダムとイブから、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフから、サウル、ダビデ、ソロモンからずっとイスラエルの民を愛し、守り導いてこられましたが、イスラエルは神に背き、北イスラエル王国はアッシリアに、そして、南ユダ王国はバビロンによって滅ぼされ、ダニエルたちは捕囚として連行されたのでした。指導者たちの背信が、若者たちの命、将来の芽を摘んでしまうところでした。
しかし、主を信じていたダニエルたちは、バビロンにおいて、歴代の王に仕えて、王の夢を解き明かし、獅子の穴から生還し、目覚ましい働きを成し遂げ、ついには「王国全域において、すべての民はダニエルの神を恐れかしこまなければならない」(ダニエル6:27)との勅令発布に至ったのでした。
イエス・キリストがこの世にお生まれになり、ヘロデをはじめ自己中心の欲に満ちた者たちは救い主の命を狙いましたが、遂には、ダニエルの如く、主に仕える誓願を立てた使徒たちによって、「キリスト教をローマ帝国の国教とする勅令発布」(ミラノ勅令313年、三帝勅令380年、異教禁止令392年)に至ったのでした。
主に仕えるとは、「自分を愛するように隣人を愛する」ことです。私たちはイエス様が教えられた「一杯の水」を心に、新たな年も主に仕えゆく誓願を立て、真の福音を宣べ伝えて参りましょう。 ハレルヤ!
中島 聡牧師