みことばの糧1291

『主の城壁より入る』

マタイによる福音書21:1~11 

「狭い門から入れ」(マタイ7:13)という聖句があります。千利休、草庵茶室の「躙り口」にその精神が継がれているとも言われます。何人たりとも遜ること、武器を持っては入れないこと、大切な教えですが、聖書の真意は「永遠の命に至る門」であり、私たちがその門をくぐることができるように、我が命を十字架に献げるためにイエス様はエルサレム城壁の「黄金の門」(別名「慈悲の門」)から入城されたのです(*エゼキエル書44:2参照)。

群衆は、これまでになされてきた数多くの奇跡によって、イエス様を「新しい王」(「父ダビデの来るべき国を統べる者」マルコ11:10、「イスラエルの王」ヨハネ12:13)として迎えようとしました。

こうした時は馬、軍馬に乗っての入城がセオリーですが、イエス様は荷役用の「ろばの子」に乗って入城されました。ここに福音、救い主の何たるかが示されています。

またこのことは偶然ではなく、古くからの預言の成就であることも示されています(「見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って。」ゼカリヤ書9:9)。

イエス様は、クリスマス、降誕の時も王宮ではなく、馬小屋(家畜をつないでおく洞穴)の飼い葉桶に寝かせられました。「仕えられるためではなく仕えるために」(マタイ20:28)こそが救い主であるからです。この「仕える者」とは、単なる奉仕者ではなく、主人のために自分の命を献げることを意味しています。その主人とは「私たち」のことです。

神の御子が人となってこの世に来られただけでも驚くばかりの恵み~Amazing Graceであるのに、その命までも献げてくださったのです。その至上の代価により私たちは信じるだけで救われることになったのです。

私たちは「至上の代価」を献げることはできませんが、イエス様が「のどが渇いていたときに飲ませ、・・・病気のときに見舞い」(マタイ25:35-36)と教えられたように、自分にできる限りのことを感謝と喜びをもって、永遠の命を宣べ伝えていくことが主の御跡に従う真の信仰なのです。ハレルヤ!

中島 聡牧師