みことばの糧1302

『キリストの栄光と預言』
ペトロの手紙二 1:16~21 

 使徒ペトロは「三度の否認」によってイエス様から離れてしまいましたが、復活の主の愛に満ちた「三度の召命」によって再び弟子として招かれ、主の復活と再臨を宣べ伝える使徒となりました。

 ペトロはキリストの威光について、「高い山」においてイエス様の顔が太陽にように輝き、また服も真白き輝きを放ち、モーセ、エリヤと語り合われた時のことを述懐します。その時、天から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者、これに聞け」という神の声を聞きました。

 「わたしの愛する子」との神の声は、イエス様がヨルダン川で洗礼者ヨハネからバプテスマを受けた時にもありました。二つの出来事ともマタイ、マルコ、ルカ福音書に残されていますが、最初の時、弟子たちは、まだ招集されてはいませんでしたので、後に大切な出来事として記録されたのです。

 ペトロはこの出来事をイエス様が神の御子であることのしるしであり、「来臨・再臨の預言も必ずや成就する」と確信したのです。

 「聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。」 聖書の預言とは、「予言」ではなく、預言者、キリスト、聖霊によって世にもたらされた「神の言葉」であり、聖書全体が預言であると言えます。もちろん世の終末など予言の部分もありますが、天地万物の創造の由来にはじまり、聖書はすべて神の言葉、預言の書なのです。それらは、私たち、すべての被造物の幸せ、祝福を願っての神から贈り物であって、「何一つ、自分勝手に解釈すべきではない」ことを忘れてはなりません。

 「聖霊に導かれて神からの言葉を語ったもの」である聖書には、私たちからすれば「不思議に見える」ものに満ちています。神の御心に適って読むには、聖霊の助けが必要です。

「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3:17)。聖書は、アガペの愛によって読むべき書であり、さらに聖霊が注がれる時、福音を宣べ伝える者として必要な力が与えられるのです。これぞ礼拝の恵みです。ハレルヤ!

中島 聡牧師