みことばの糧1171

『安息日の恵み』

ヨハネによる福音書5章1節~11節 新約聖書p.171

エルサレムにベトザタ(憐れみの家)という池がありました。その池のまわりには廊下があり、たくさんの病人が池の水面を見守っていました。

この池には、水面が動いたときに池に入ると病気が治るという言い伝えがあり、たくさんの病人が、水面が動くのを今か今かと待っていました。

主イエスがここに来た時、38年間も病気で苦しんでいる病人に目を留められました。この人は池の畔にいる病人の中でも特に重い病気だったのでしょう。その病人は池の中に入りたくても体の自由がきかず、入ることができませんでした。まわりにはその病人を助けてくれる人もいませんでした。

主イエスはその病人に「良くなりたいか」(ヨハネ5:6)と尋ねられました。病人は、「はい、良くなりたいです。でも私は体が動かないのです。」と答えました。

その言葉を聞いた主イエスは、その病人に命じました。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」(ヨハネ5:8)すると、その人はすぐに良くなって、今まで自分が寝ていた床をかついで歩きだしました。主イエスの御言葉によって、病気はすべて癒されたのです。

けれども、その日は「安息日」(ヨハネ5:9)でありました。ユダヤ人達は安息日に癒しの業を行った主イエスと、癒しを受けた病人とを「律法違反である」として責めたのです。

しかし主イエスは語られました。同じように安息日に癒しを行った出来事がマルコ3章、ルカ6章にありますが、「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」(マルコ3:4)と語られました。

すなわち「安息日は善を行い、命を守るためにある、さらには律法全体が善を行い、命を守るためにあるのではないか」、と主イエスは語られたのです。

私たちもこの安息日に、主の守りを受け、心と体の最高の休息を得て過ごしたいと願います。父なる神さまが創りたもうた天地万物を心に留め、造り主なる神様に心を向けて歩みましょう。

ハレルヤ! 片平貴宣牧師