みことばの糧1219

『主の贖いの恩寵を知る』

民数記14章13節~21節
約束の地カナンは、神様が与えようとしている約束の地ではありましたが、その地に進むには大きな試練がありました。モーセはカナンを偵察するように、と主から命令を受け、12部族の代表を選び、偵察隊として遣わしました。
彼らは、そこが本当に主が約束されたように、乳と蜜の流れている地であると告げました。しかし、ヨシュアとカレブ以外の10人は、その地の住民を恐れました。
彼らの目前に広がっていたのは、乳と蜜の流れる約束の地、二人がかりでなければ担げないような大きな葡萄を実らせる豊かな地。それは偵察に行った全員が認めるところでした。「しかし」(13:28)と10人は言います。神様の恵みが豊かに備えられていることはわかっています。「しかし」その恵みを得ようとしても、困難に目を奪われるとき、神様の恵みが全く見えなくなってしまうことがあります。
ヨシュアとカレブは怖じ気付く民を前に、衣を引き裂き、信仰を持って必死に全イスラエルに訴えました。神様が約束の地をわたしたちに与えてくださるという明確な、信仰によるビジョンを持ってイスラエルの民に訴えています。
それでもなお、イスラエルの民はかたくなで、神様の導きに従おうとしませんでした。彼らは敵であるところのアナク人の巨大さと、自分たちの小ささに目がいってしまっていて、神様がどうご覧になっているかを忘れてしまっています。
神様はイスラエルの民を選び、愛されました。私があなたを導く、あなたを愛する、あなたを宝とする、と語りかけてくださる神様の視点を彼らは忘れてしまっていました。ここに、ヨシュアとカレブが神様に従ったのに対し、ほかの民が不平を言ったことの決定的な違いがあります。
ヨシュアとカレブは、ただ勇猛果敢に突き進むことを良しとしたのでもなく、カナンを占領するための手腕に自信があったのでもありませんでした。神様の命令に従うこと、全き服従を持って従順に従うことを最優先にしたのです。
「主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない」(14:9)とあります。目の前にある試練に目を奪われてくじけるのではなく、その先にある神の恵み、偉大な恵みに目を向けて歩むものでありたい。御心が何であるかを見通す、先見者としての目を持って歩みましょう。 ハレルヤ!

片平貴宣牧師