みことばの糧1221

『幼子のようにお入りください』

マルコによる福音書10:13~16
 ある人々が子どもたちをイエスのところへ連れてこようとしたとき、弟子たちはそれを妨げようとします。しかし、イエスは「子供たちをわたしのところへ来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」と言って子どもたちを招きます。なぜ弟子たちは、子どもたちが来ることを妨げようとしたのでしょうか。少し前の9章33 節以下と少し後の10章35節以下に記された弟子たちの関心事からその理由を窺い知ることができるでしょう。弟子たちは、くり返し、どうしたら神の国で「いちばん偉く」なれるのか議論しています。当時の社会の「いちばん」(第一の者)とは、例えば市長や皇帝といったごく一部の選ばれた政治的権力を持った存在を指します。このような考え方に基づけば、弱く未熟で社会の責任ある構成員ではない子どもは、選ばれることのない「いちばん」力のない存在です。
しかし、イエスは9章36 節以下で、子どもを「真ん中に立たせ、抱き上げて」、「このような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と宣言しています。さらに10章では、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(15節)とまで述べています。つまり、子どもは受け入れられる「対象」であるだけでなく、神の国を受け入れる「主体」でもあるということです。イエス・キリストが宣教する神の国は、特別な業績や社会的地位を全く持っていない子どもたちにも、すなわち、無条件にすべての人に開かれた神の恵みの約束です。このかぎりのない恵みがすべてのいのちを支える「いちばん」の力となるのです。大人のような力が無いからこそ信頼を寄せて生きる幼子たちから学ぶようにとイエスは勧めているのではないでしょうか。
イエスは、わたしたちの目を子どもとその心に向けることで、自分の強さを誇ることではなく、むしろ弱さを認めることへと招かれます。そして、等しく神の国に招かれた者として、すべてのいのちに敬意をもって共に生きるよう、わたしたち大人の心が育つことを願っておられるのではないでしょうか。 「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く」(イザヤ11章 6節)。子どもたちが真ん中に立ち、主の平和を導く世界が来ますように。

小田部進一師(関西学院大学神学部教授)