みことばの糧1222

『世の罪を取り除く神の子羊』

ヨシュア記7章1~6節
ヨシュアはエリコの占領の成功体験から、神様抜きでアイ侵略を計画し、敗北します。こういった、自分の力でどうにかしようとした罪、神様の力を自分のものとしようとする罪によってイスラエル民族は裁かれたのです。敗北した彼らは、既に不信の罪のうちにあり、ヨシュアはその不信を神様へ表明します。
その後、神様の指摘によってアカンという男が聖絶のものを盗んだことがわかりますが、神様は11節で「イスラエルは罪を犯した。」とはっきりと言っています。実はアカンが犯した罪がイスラエル全体の罪とみなされたということではなく、イスラエルの罪がまずあって、その表れの一つとしてアカンの罪が表に出てきたということだったのです。この後、アカンとその家族は石打ち刑になり、彼の所有物も盗んだものも全て焼き尽くされていきます。しかし、この神様の怒りは決してアカンに向けられたのではなく、実は全イスラエルに向けられた神様の怒りなのだと聖書は述べているのです。大罪を犯したイスラエルの民は、大きな犠牲を払わなければなりません。そのために、贖罪の供え物としての石打ち刑と焼き尽くす行為がありました。「全焼のいけにえ」はレビ記にその規定が書かれています。つまりこのいけにえは、罪のための供え物だったのです。
後にアコルが処刑された場所は「アコルの谷」(災いの谷)と呼ばれるようになります。しかし、その後旧約聖書でここはむしろ災いの地ではなく、喜びの地、憩いの地、希望の門とされていきます。それは、私たちの罪のために捧げられた子羊はイエス・キリストだったからです。このイエス様によって開かれた新しい門は、災いという死ではなく、永遠の命という希望の道に続きます。私たちはそのこと悔い改めをもって、主の赦しを信じ歩んでまいりましょう。

田中 尚美牧師