『心のある道』
マタイによる福音書25章31節~40節
世の終わりのとき、イエスは、一人ひとりを、どのように生きたかによって裁かれます。そして、次のように言われます。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」直接、イエスにしたことではなく、この世の最も小さい者に対して行ったあなたがたの行動は、イエス自身に行ったことなのだ、というのです。
私には、この世の最も小さい者たちと、本校の生徒たちの姿が重なります。生徒たちは、それぞれ悩みや課題をかかえています。それぞれが精一杯、生きています。キリスト教学校に働く者として忘れてはいけないことは、生徒一人ひとりの後ろには、イエスさまがおられるということです。私たちが、一人の人格としてその生徒に対して行うことは、イエス様に行うことでもあるからです。
現在、少子化が急速に進んでいます。新潟県では、15歳人口が15年後には現在の58.6%に減ってしまいます。この状況を踏まえ、新潟県では、公立高校の将来構想を立て、先日、その内容が発表されました。
基本方針は「選ばれる学校づくり」。どこかで聞いた言葉です。これは私学がこの20年、それを目指して必死に取り組んできたことだからです。公立が私学と同じように生徒確保に取り組むという宣言であり、私学にとって危機が一段と深まることを意味します。このように10年後、15年後、少子化の大きな波が押し寄せてきます。私たち、地方のキリスト教学校はこの波に流されてはいけない。その存続を図り、日本のキリスト教界の希望の光であり続けなければならない。
イザヤ書40章に次のような言葉があります。「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」
キリスト教学校が存続するために最も重要なこと、それは神の言葉に立つ学校であり続けることです。もっとも小さい者たちと共に、心のある道を歩み続けることです。それこそが、われらの主、イエス・キリストと共に歩む道であり、そこにこそ希望の光があるからです。
小田中肇師(敬和学園高等学校長)