『信仰によって建つ教会』
マタイによる福音書16:13~20
ペトロの「メシア、生ける神の子」告白に学びます。イエス様は弟子たちに向かって、「人々はわたしのことを何者だと言っているか?」と問われました。弟子たちは耳にしていた通り、「洗礼者ヨハネ」(殉教したバプテスマのヨハネの生まれ変わり/マタイ14:1-12)、「エリヤ」、「エレミヤ」、「預言者の一人」と答えました。次にイエス様は「それでは、あなたがたは?」と弟子たち自身の考えを問われました。
イエス様はマタイ12章において「神殿よりも偉大なもの」(6)、「安息日の主」(8)、「ソロモンにまさるもの」(42)、「わたしの天の父(天の父の神の子)」(50)と自らが天的な存在であることを示唆されています。この時、ペトロだけが冒頭の通り、「あなたはメシア、生ける神の子です」と100点満点の告白をしました。
当時、皇帝崇拝が行われており、「神の子」の称号はローマ皇帝だけに許されていましたから、まさに決死の信仰告白であったのです。
イエス様をメシア、キリスト、救い主、神の子と信じる、これこそが信仰ですから、ペトロはこの告白の時点において完全な信仰に立ったのです。イエス様は、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ」と言われると同時に「あなたにこのこと(信仰告白)を現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と、信仰そのものも神から与えられるものであり、人の力によるのではないことを戒められました。
その上で、シモンをペトロ(岩)として、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」ことと、「天の国の鍵」を授けることを宣言されたのです。
おそらくこの時、ペトロは弟子として絶頂の感極まっていたと思われます。「イエス様はこの私に教会を、そして天国の鍵を授けられた!」その時、サタンが(このままでは世界にメシアの福音が宣べ伝えられる!これは、なんとしても阻止せねば!)、一斉にペトロに襲いかかったのです。
ペトロはこの後、イエス様が「救い主とは十字架に自らの命を献げる者のこと」と説かれると、人間の考えでイエス様を「いさめた」ので、「サタン、引き下がれ!」と厳しく叱責されます。イエス様の弟子とは「自分を捨て、自分の十字架を背負って」(16:24)イエス様に従う者のことです。 信仰も伝道もすべては神の御業なのです。信じ、委ね、祈り合って伝道に仕えて参りましょう。ハレルヤ!
中島 聡牧師