みことばの糧1238

『わたしのものはお前のもの』

ルカによる福音書15章25~32節
放蕩息子の例えです。有名なのは弟の方かも知れません。父親から生前遺産贈与を受け、すぐに遠くに旅立ち、財産を使い果たし、ホームレスとなって帰って来たのです。父親はその彼を責める事も無く受け入れ、喜びの宴会を催しました。今日注目したいのは兄の方です。弟が帰ってきて宴会が開かれている。その事に怒ります。父親は兄をいさめに来ましたが、兄は父に食って掛かります。「私は真面目にやってきたのに、何もしてくれなかった!!なのに弟には!!」と。そんな兄に言います。「私はお前と一緒にいる。私の物はお前の物だ」と。
父のこの約束を受けるならば、私たちはどんなに平穏に、喜びをもって暮らすことが出来るでしょうか。考えてみると、この兄の姿は、先に救われた者たちの姿にも見えるところがあります。この兄を通して、私たちのあるべき姿を確認しましょう。
① まず感謝を捧げること/兄は弟を見て、妬みます。自分の方が正しい、ちゃんとやって来た!と主張します。さらには、それなのに父は何もくれなかった!と。妬みがあると、自分を傷つけ、周囲に当たり散らし、何も得るものがありません。だから何をなすべきでしょう。聖書は、どんなことにも感謝しなさい(1テサロニケ5:18)、と教えます。まず感謝をすることで、人との比較よりも、神さまを見上げ、神さまの御業に期待することを覚えましょう。そして感謝の中で困難の壁を打ち破り、神さまの御業を体験しましょう。
② 最善の御業に期待する/兄は、弟に対する怒りだけで、神さまが自分をどう見ているか、という思いが抜けていました。常に人と自分。その中で心には「恐れ」が入り込んでいました。恐れが否定的な想像を膨らませ、心から喜びを奪い去ります。人に対して文句や批判ばかり言うようになってしまいます。
神さまは、私たちに試練を与えられます。でもそれは祝福するため。どんな状況にあっても、神さまに祈り、神さまの御心に焦点を当てましょう。自分の思いが、神さまの御心と一つとなるように求めます。すると、心から恐れは消え去り、将来成される神さまの素晴らしい御業に期待するようになります。心が喜びで満たされます。
③ 神さまの愛の中を歩む/兄をなだめに来た父はいいます。「私の物はお前のものだ」と。自分に与えられている特権を知らずに、文句ばかり言っていた兄ですが、凄く大きな富を既に持っていたのです。現在の教会も同じです。神さまが共にいて下さり、神さまの富が私たちのものとなっています。それなのに、不足だらけだ、と文句言う所はないでしょうか。主の愛に満たされ、勝利の確信をもって歩みましょう。

伊奈 聡牧師(南信州フォレストチャーチ)