『主の御声を聴く礼拝』
サムエル記上3:1~9
少年サムエルへの預言に学びます。聖書には“霊”によって少年ダビデ、また「五つのパンと魚二匹」を差し出した少年の姿が描かれています。そして、イエス様は「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」(マタイ18:3)とまで教えられたことを忘れてはならないと示されます。
サムエルは、母ハンナの祈りと誓約によって誕生しました。そして約束通り、乳離れすると、神殿に献げられ、祭司エリのもとに託されました。その時、ハンナはエリと共に礼拝を守り、「ハンナの祈り」を捧げました。「聖なる方は主のみ」、「人は力によって勝つのではない」が深く心に残ります。
母の祈り、エリの導きによってサムエルは「主の僕」として成長することができました。そして、主の御声を聴く者となり、イスラエルを王制に至るまで導き、またサウル王、ダビデ王の治世においても預言者であり続けました。
しかして、その最初の務めは祭司エリの「息子たちの背信が裁かれる」ことを告げねばならない辛いものでした。「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」(3:1)とありますが、実は、裁きの預言は、サムエルよりも先に、エリに「神の人」が来て告げていたことだったのです。そして、新たな「わたし(神)はわたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立てる」ことも告げられていたのです(2:27-36)。
残念ながらエリは息子たちを正すこと、そして、新たな忠実な祭司がサムエルであることを悟ることができませんでした。本来なら、エリは、最初のサムエルへの呼び掛けが主からであることを教えるべきであったのですが、三度目にまで及んでしまったのです。
「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく」とありますが、私たちには「主の言葉」である聖書、また讃美歌が与えられています。私たちは主の御声を聴いているのです。 「わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(マタイ18:5)。一つ一つの主の御声に聴き従い、この世に御救いの福音を宣べ伝えて参りましょう。ハレルヤ!
中島 聡牧師