みことばの糧1249

『復活の主の愛』

ヨハネによる福音書20:19~29
 今日の箇所は、復活の主イエスが弟子たちに、後にトマスに現れる箇所です。既に主イエスは復活され、マグダラのマリアに現れたことが直前には記されています。
 けれどもトマスは、まだ主イエスの復活を本当に信じることができませんでした。主イエスが十字架にかけて殺されたように、自分たちも殺されるのではないか、と思って恐れて家に鍵をかけ閉じこもっていました。
 その復活を信じられない様子は、トマスの姿に良く現れているでしょう。トマスは疑い深い人物の代名詞のように言われることも多いですが、他の弟子たちにも同じ思いがあったでしょう。そうであるからこそ、弟子たちは恐れて、家の戸に鍵をかけて閉じこもっていました。
 そこに主イエスが現れ、真ん中に立ち、おそらくかつてと同じように、「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20:19、21)と言われました。ここではギリシャ語では「エイレーネー」という言葉が使われており、ヘブル語では「シャローム」になります。意味は「平和」「平安」で、挨拶に用いられる言葉でした。
 挨拶ですから当然、十字架以前の主イエスも日常的にこの言葉を弟子たちと交わしていたことだろうと思います。主イエスがこの言葉を語るとき、単なる挨拶を超えて、本当の意味での平和、平安があるようにと願っておられたのではないかと思わされます。
 それでは、私たちが受けるべき本当の平和、平安とは何でしょうか? それは何より、神さまとの平和です。わたしたちが受けるべき本当の平和、これは主イエスの十字架と復活によって与えられます。
 主イエスはトマスに対して、こう語りました。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。…見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:27、29)この箇所のキーワードはまさに「信じる」ということでありましょう。そして、信じることによって、私たちの心に平安が与えられます。
私たちも主に招かれ「信じる者」とされました。さらに「信じる者」が起こされるよう、福音の証し人として歩みを進めましょう。ハレルヤ!

片平貴宣牧師