『天国のマナー』
マタイによる福音書22:1~14
イエス様は天国がどのようなものか「婚宴」に譬えて教えられました。王は王子の婚宴のために多くの人を招きましたが、人々はそれを「無視」したとあります。
理由は「畑作業」、「商売」、利益優先のためでした。せっかくの天国なのに、「もったいないことだ」と思うのですが、信じていなければそれこそ「1円の価値もない」からです。
また招待を告げに来た「家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった」と、そもそも王に対して敵対心、憎しみを抱いていたことが記されています。自己中心に、独裁的に生きたい人からすれば「天の国」など掻き消したいのかも知れません(マタイ21:33~『ぶどう園と農夫』の譬え参照)。
譬えの後半。「王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った」。これは、かつて主が遣わしてくださった預言者(イザヤ、エレミヤ、エゼキエル等々)に聞き従わず、アッシリア、バビロンに滅ぼされたイスラエル王国の姿を現しています。
そして、新たな「招待」が始まります。今度は誰でも招待されることになりました。「善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいなった」とあります。これはイエス様によってユダヤ人だけではなく、全人類が天の国に招かれるようになったことを現しています。
譬えの結末。「婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。王は『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』」と問い掛けたのですが、その人が黙っていたので、その人は追い出されてしまったのでした。
天の国はイエス様の命と引き換えにすべての人が無条件に招かれることになりました。生い立ちも、今、どんな状態であるのかも問われません。しかし、ただ一つだけ、「礼服」、すなわち神の愛、イエス様の愛を信じる「信仰」によって天国への門が開かれるのです。
私たちは、慇懃に過ぎるマナー、それができるかできないかで人を分け隔てするような律法から解き放たれ、最も大切なマナー、神の愛による信仰(相手への思いやり、隣人愛、ホスピタリティに満ちた奉仕)によって仕え合い、やがて約束された天の国に招かれていくのです。この恵みを今週も宣べ伝えて参りましょう。ハレルヤ!
中島 聡牧師