みことばの糧1258

『天の御心が成る』

 使徒言行録7:54~60
 聖霊降臨の力によって3千人が洗礼を受け、教会が誕生しました。ペトロとヨハネは「美しい門」で生まれながらに歩けなかった人の癒しの奇跡を行い、さらに信じる人たちは5千人になりました。
するとユダヤ教指導者たちは「立ち上がり、ねたみに燃えて、使徒たちを捕らえて公の牢に入れ」、「使徒たちを殺そうと考えた」(5:17,18,33)のでした。
 そのような状態にあっても「弟子の数が増えて」、「日々の分配」のことで問題が生じるようになってしまいました。そこで、使徒たちは弟子集団の食事の世話をする7人を任命し、使徒は「祈りと御言葉の奉仕に専念すること」になりました。
 ところで、この弟子集団の世話係7人の内、ステファノが弟子たちの最初の殉教者となりました。その様は主イエス・キリストそのものでありました。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10:45)。もちろん、「祈りと御言葉の奉仕に専念すること」は大切なことです。しかし、「主イエスに倣う、イエス様に従うとはどういうことか」がステファノの姿に示されています。
 そもそもステファノは「“霊”と知恵に満ちた評判の良い人」であり、「恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行って」いました(6:3,8)が、食事係に選ばれました。不思議なことです。
 やがてステファノは、「知恵と“霊”とによって語る」(6:10)者、「ステファノの説教」(7章)とある通り、主の福音を告げ知らせる者となり、最期は真にキリストの弟子として殉教するに至ったのです。
 ステファノの殉教が使徒たちの心に新たな火を灯したことは間違いのないことです。ヨハネの兄弟ヤコブが第二の殉教を遂げ(12:1-2)、ペトロは異邦人伝道に向かうようになり、ヤコブに続いて捕らえられ、投獄されても主に従い続けました。
 福音宣教、如何なるか。すべては天の御心です。私たちは祈り、礼拝を守り抜き、主に喜びの賛美を捧げ、示された伝道に仕えて参りましょう。ハレルヤ!

中島 聡牧師