『聖霊は全ての人に与えられる』
使徒言行録10:44~48
使徒ペトロはエルサレムに留まることなく方々を巡り歩いて福音を宣べ伝え、エマオ、リダ、ヤッファへ向かい、病の癒し、蘇りの奇跡によって多くの信者が与えられました。その間、主はペトロに「禁忌食物の清め」を夢見させ、さらに異邦人伝道に仕えるように示されました。
そこにイタリア隊の百人隊長コルネリウスが、天使の御告げの通りに、ペトロにカイサリアに来て福音を説き明かしてくれるように願いました。ペトロは求めの通りにカイサリアに向かい、コルネリウスとその家族、また彼が呼び集めていた親類、親しい友人に、主イエス・キリストの十字架と復活を信じるならば、全ての人が罪赦され、永遠の命の救いを得ることができると福音を語り伝えました。
すると、「一同の上に聖霊が降り、神を賛美した」のです。そこで、ペトロは、「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼(バプテスマ)を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言い、「イエス・キリストの名によって洗礼(バプテスマ)を受けるように」(10:47-48)と命じたのでした。
このカイサリアにおけるキリスト者の初穂となった百人隊長コルネリウスは、ペトロに会う前から「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」(10:2)とあります。なぜでしょうか?
福音書はイエス様の十字架に際して、「百人隊長はこの出来事を見て、『本当に、この人は正しい人(神の子)だった』と言って、神を賛美した。」(ルカ23:47、マルコ15:39、マタイ27:54)と記録しています。
イエス様は兵士たちによって衣服を剥ぎ取られ、棒で叩かれ、殴られ、茨の冠を被せられ、十字架に磔られましたが、イエス様は、イザヤ書の預言の通り(53:7)、すべてを耐え忍ばれました。私たちの罪を赦し、永遠の命を与えるためです。百人隊長はそれらのすべてを最も近いところで見ていて、「神の子」を信じたのです。福音書はこの百人隊長の名をコルネリウスとは記していませんが、別人であったとしたら、なお新しい福音の広がりが期待されます。
福音の種はイエス様の命と引き換えに蒔かれました。それらが聖霊によって実りを見せる時、私たちはただ感謝をもって刈り入れるのみなのです。ハレルヤ!
中島 聡牧師