『人は神にはなれない』
コヘレトの言葉3:11
ヨハネによる福音書17:3
人の器は大きくない。人は永遠の命を得ても神にはなれない。神は闇を照らしつくされたが、人は人の闇を覗き込むと疲れてしまうためだ。
しかし、聖書の証しする神、イエス・キリストは人の闇を照らし、人の涙をことごとく拭い去って救いを成し遂げてくださったのだ。救い主である神はすべての人の心の闇を見つめ、受け止めて癒してくださったのだ。
私たち人間には神の豊かさに与る幸いが与えられている。計り知れない神の豊かさを永遠の時間において感謝し、褒め歌うことができる、というのは何という幸いだろうか。
私にとってはそうした意味で、神の国(天国)において何よりも思い惹かれるのは神への礼拝である。無から有を創造される神のもとでは常に新たな驚きが満ちているのである。故に、神の国に召し上げられる日が来て、神を御側近くで礼拝できるのだとしたら、何という感謝なことだろう。
この世において思い残すのは、残り僅かとなった人生をどう過ごすべきなのか、という終活についての思いである。特別な何かを期待する思いはほぼ無い。神の導きのままに、淡々と余生を過ごす、それだけで十分だと思わされている。
最後に皆様への私の願いは「神を過小評価しないで、過大評価して欲しい」ということだ。だから、神の大きな救いの豊かさの中に受け入れられた者として、神を喜ぶための自分の器を大きくし、神のその豊かさをいつまでもどこまでも楽しむ心備えをする者でありましょう。
日本基督教団横浜岡村教会牧師 杉本 泉