みことばの糧1264

『玉手箱より神の箱』

サムエル記下6:1~11
 私たちは皆、神の全地全能の力と恵みによって命を得ているものですが、本来、神とはいかに「聖」なる御方であるかを「神の箱」から学びます。
 神とイスラエルとの救いの契約である「十戒」を収めた「神の箱」は聖なる至宝でした。祭司一族であるレビ人のケハト氏族の中から持ち手が選ばれ、イスラエルと共に移動し、民を守ってくれました。
 しかし、預言者エリの息子ホフニとピネハスの背信によって「神の箱」はペリシテ人に奪われ、持ち去られてしまいました(サムエル記上5:1)。
 少年ダビデがサムエルによって油注がれ、やがて王となり、ペリシテを打ち倒し、二十年ぶりにして「神の箱」はエルサレムに“凱旋”することになりました。
 ダビデ王はこのために精鋭三万人を招集し、凱旋を警護させ、最側近には二十年間、神の箱を守ってきたアビナダブの家の子ウザとアフヨが立つことになりました。道中、神の箱を乗せた台車を牽く牛がよろめいたので、ウザが神の箱を落とすまいと手で箱を押さえた時、ウザはその場で神に打たれ命を落としたのでした。
 聖書には「アビナダブの息子のエルアザル」は神の箱をまもるために「聖別された」とあります(サムエル記上7:1)。確かにウザについては記されていません。
 ウザが打たれた真意は分かりません。しかし、この出来事によって「ダビデは主を恐れた」とあります。本来は、見ることも近づくことも許されなかった神は、「昼は雲の柱、夜は火の柱」となってイスラエルと共にいて下さり、
さらに、神自らが刻み込んだ「神の言」を与えて、共にいて下さいました。
 それでも背いたイスラエルのもとに帰ってきてくださる、しかし、その「聖なる」ことを忘れないように、やがて王国も滅ぼされることになる将来へのメッセージのようにも思えます。
 しかし、神は「神の箱」を、やがて「飼い葉桶」としてくださったことを忘れてはなりません。信仰とは単なる宝箱、玉手箱ではなく、自らを献げてくださった神の愛を受け取るものであることを信じ、大切にして参りましょう。ハレルヤ!

中島 聡主任牧師