みことばの糧1268

『癒しの恵みは永久に』

列王記下5:9~14
 ナアマンの癒しの奇跡に学びます。彼はアラム国の司令官でしたが重い皮膚病を患っていました。当時では不治の病です。彼の家にはイスラエルから捕虜として連れてきた少女が妻の召し使いにされていました。しかし、その少女は大切にされていたのか、妻に「サマリア(イスラエル北王国)の預言者エリシャなら癒してもらえるでしょう」と告げたのです。
 アラムの国王は親書(「癒しの請願書」)をナアマンに持たせ、ナアマン自身も銀十キカル(340kg)、金六千シェケル(78kg)、着替えの服十着を携えてエリシャのもとを訪ねました。
 すると、「エリシャは使いの者をやってこう言わせた。『ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。』」(5:10)
 ナアマンという人は、王の信頼も厚く、敵国の召使いの少女が癒しを願うほどの素晴らしい人柄であったと思われます。しかし、この時ばかりは余りに安易で、簡易な治療法に憤慨し、身を翻して帰国しようとしてしまったのです。このままでは彼の病は癒されず、彼は死を迎えるところでした。
 しかし、ここに真の忠臣がいたのです。「わが父よ、あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりなさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。」(5:13)と命懸けで進言したのです。
 「確かに!」ナアマンは、ヨルダン川に七度その身を浸し、「小さい子供の体のようになり、清くなった」のでした。納得の昔話ですね。さて、では私たちはどうでしょうか?
 「洗礼(三度の滴礼)を受ければすべての罪が赦され、死すらも癒され、永遠の命を得ることができる」と示されたら、どのように応じるでしょうか。
 エチオピアの高官は自ら願って洗礼を受けました。ナアマンのように、真にナアマンのことを想い“忠臣”によって洗礼を受けることもあるでしょう。神の御子は、癒しの恵みをすべての人に与えるために十字架にその命を献げられました。キリストは私たちの真の忠臣、僕となってくださったのです。なんという愛でしょうか。

ハレルヤ!中島 聡牧師