『主により頼む者への恵み』
列王記下18:1~8
本日は、「ヒゼキヤ王」について御言葉に聞いていきます。ヒゼキヤは南ユダの王で、様々な業績を数えることの出来る、非常によい王であると言えるでしょう。
「彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。」(列王記下18:5)とあるように、南王国の歴代の王の中で最も良い王として語られています。
当時の南ユダはアッシリア王国に支配をされていました。それは先代の王、ヒゼキヤの父でもあるアハズ王の時代の出来事に遡ります。異教の習慣が入り込み、忌むべき儀式をアハズ王自ら行いました。その警告のために預言者イザヤやホセア、ミカなどが遣わされ、神の言葉を語りました。それでもアハズ王は聞き従わず、裁きが下されました。
それに対してヒゼキヤ王は、断固たる態度を取りました。異教の祭壇を取り除き、神殿の修復を行いました。そして、過越の祭りを始めとする祭儀を復活させたのです。
さらには政治的にも脱アッシリアの政策を進めたり、エルサレムの守りを強め、水を確保するためにトンネルを掘って水道を作りました。これは「ヒゼキヤのトンネル」と呼ばれ、現在でも利用されており、イスラエル観光の際などには通ることが出来ます。
そしてヒゼキヤ王は「祈りの人」でありました。晩年、ヒゼキヤは病気にかかります。それは死に至るものであり、神さまからの託宣でもありました。けれどもその時ヒゼキヤは主なる神さまに祈り、結果として15年寿命を延ばされることとなりました。
ヒゼキヤは29年にわたって南ユダ王国の王として、民を導く役割を担いました。彼がよい王であったことは間違いありません。けれども一つだけ彼の欠けを挙げるのならば、それは彼の跡を継いだ息子マナセでありましょう。
マナセは父ヒゼキヤが取り除いた偶像礼拝を再び行いました。せっかくのヒゼキヤの働きが全くの無駄に、以前よりも悪い信仰状態に、南ユダは陥ることとなりました。
いずれにいたしましても、ヒゼキヤ王の生涯や彼を取り巻く出来事からは、私達も学ばされることが多いかと思います。ヒゼキヤ王のごとく、主に拠り頼む者として歩みましょう。ハレルヤ!
片平貴宣牧師