みことばの糧1271

『善かつ忠なる僕』

列王記下23:21~27 
 宗教改革と言えば、1517年、中世ドイツ、「ルターの宗教改革」が有名ですが、旧約聖書の時代にも「ヨシヤの宗教改革」(紀元前640~609年)がありました。
 ルターは、当時ラテン語(*ヘブライ語、ギリシャ語)であった聖書を民衆も読めるようにドイツ語に翻訳し、活版印刷の発明も相まって、「福音」が皆のものとなりました。
 「彼(ヨシヤ王)のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった。」
 ユダヤの人々は、せっかく神様から与えられた「十戒」を隅に追いやり、奴隷から解放されたことへの感謝の礼拝、「過越の祭」も行わなくなってしまいました。
 しかし、ヨシヤ王が神殿の大改修工事に着手した時、十戒を含む「律法の書」が発見されたのです。ヨシヤ王はすべての偶像を廃止して、十戒、過越の祭、礼拝を取り戻し、宗教改革を遂行したのでした。
 ところで古代の礼拝は、犠牲の供え物、生け贄を捧げる儀式を重要としていましたが、イエス様は「わたしが求めるのは憐れみであっていけにえではない」(マタイ9:13、12:7)と神様の御心を教えられました。
これは旧約聖書十二小預言書ホセア書6:6「わたしが喜ぶのは愛であって生け贄ではなく、神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない」の成就であり、さらに!私たちが二度といけにえを捧げなくてもいいように、神の御子イエス様が自らの命を最後にして究極の犠牲の供え物として十字架に自らを献げてくださったのです。
ヨシヤ王は一生懸命に十戒、本来の信仰に立ち帰るようにしました。十戒とは要約すれば「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛し」(申命記6:5)、そして「第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」(マタイ22:39)です。
神様の愛、イエス様の十字架によって、信仰、憐れみの心を与えられ、教会、園を通して隣人愛をこの世に現していくことができますように祈って参りましょう。

ハレルヤ!中島 聡牧師