『主の祈りの祝福』
ルカによる福音書11:1~4
世界のほぼ全てのキリスト教会において洗礼と聖餐と主の祈りが大切にされています。いずれも主イエス・キリストが命じられたことだからです。
主の祈りは、「弟子の一人がイエスに、『主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください』と言った」ことに始まります。バプテスマのヨハネは、祭司ゼカリヤの子であり、洗礼式や祭儀にふさわしい祈祷文を作成し弟子たちに教えていたとみられます。
同様の祈りを期待した弟子は、第一声の「父よ」に驚いたと思います。英訳:Father、ギリシャ語原典:πατήρ、ですが、当時イエス様が用いられていたアラム語では、
アッバ(ahabah)、幼児が発語できる呼び掛け語になっています。祈り、信仰に幼児も招かれているという教会の大前提がここにあります。
祈りとは、神様に向かって捧げるものですが、イエス様はこの第一声、一言目に神様と私たちの関係を親子関係(保護関係)、愛の関係であると集約されたのです。
聖書の親子関係とは、ただ守られる、保護されるだけではありません。*右欄 主の祈り 参照
①、②、③、④は、十戒の第一戒~第四戒と同じく、真の神を神とすることができますようにと祈っています。⑤、⑥、⑦は、十戒の第五戒~第十戒と同じく、真の神を神とする生き方、信仰を守ることができますようにと祈っています。
幼児が先ずその存在を受け入れられ、守られ、愛されてこそ成長していくことができるように、私たちも先ず神様に愛され、恵みをいただくことからすべては始まっていくことを示されます。
そして、イエス様は私たちの生き方、信仰を、⑤皆がご飯を食べられること、⑥自分の罪を赦していただき、互いに許し合うこと、に纏められました。そして、⑦これらの生き方、信仰から私たちを遠ざけようとする悪の誘惑から救い出し給えと祈りなさいと教えられました。
すべての始まりは「アッバ、父よ」です。神の愛です。そして、これこそが信仰なのです。イエス様もゲッセマネにおいて「アッバ、父よ」と祈り始め、全人類の罪を贖い、救いをもたらす十字架に向かわれたのです。私たちも共に祈り、福音伝道に向かって参りましょう。
ハレルヤ!中島 聡牧師