みことばの糧1273

『主に祝福を求めよ』

マタイによる福音書7:7~12
 イエス様の「山上の説教」の締め括りに近づいています。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。」少し即物的な印象がします。「求めよ」と訳されたのは“Ask”であって、直訳では「聞け」です。「求めなさい」とは、物欲的に「欲しがりなさい」ではなく、これまでのイエス様のメッセージを土台にして、「いかに生きるべきかを、神に尋ね求めなさい。そうすれば、その生き方、歩み方が示される」ということです。もちろん、「永遠の命を求めなさい」という信仰的希求も込められています。
 続く「探しなさい、門をたたきなさい」も同じように信仰による生き方を求めるという視点で読むと、イエス様のメッセージ、福音を真っ直ぐに受けとめることができます。
 「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。」ここにも、「主の祈り」に込められた「日毎の糧」としてのパンと魚の意味もありますが、後半に記されているとおり、パンと魚は「良い物」であって、良い食べ物だけではなく、信仰による良い生き方が説かれているのです。
 11節「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。」
 良い物とは、“Good Gifts”、良い贈り物、賜物を意味しています。単なるモノではありません。食べ物、着る物は大前提ですが、親は子に「いかに生きるべきか」という最も大切な贈り物をするだろう、ということです。
 11-12節「あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
 信仰による生き方とは、「自分がしてもらいたいと思うことを人にもすること」であり、「自分の求め」と「人の求め」が共に喜びとなること、共に幸せであることが示されています。
 十戒も律法も、そして、神の言葉を執り継いできた預言者もすべて、このことを教えており、現実のパンを分かち合うこと、そして、「命のパン」に共に与ること、この主の祝福を宣べ伝えて参りましょう。

ハレルヤ!中島 聡牧師

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