『闇に輝く救い主』
イザヤ書9:1~6
この預言は預言者イザヤによって、紀元前750年頃に語られました。新約の時代に生きる私たちは、「みどりご…男の子」を、主イエス・キリストである、と受け止めます。
このお生まれになるみどりご、主イエスを私たちは証しをします。真の救い主としてこられる主イエスのお誕生を知らせるため、共に喜び賛美をします。
私たちは、12月25日がクリスマスであり、イエス様のお誕生日であることを知っています。そしてお生まれになった主イエスが、わたしの救い主であると信じます。
けれどもこの世では、それを知らずに歩んでいる人、あるいは自分には関係ないと思っている人が多いのです。
たかだか一人の「みどり子」、を知らなくても、大したことはない、と思えるかも知れません。みどりごは、親に守られなくては生きることも育つこともできません。その姿は全知全能である神様とはあまりにもかけ離れ、これが神様のご計画だとは受け止め難いかもしれません。
それこそ救いのご計画であり、へりくだられる主イエスの姿でありました。「キリストは、…僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6−8)とあります。
私たちと同じように、いやそれ以上に貧しく、へりくだってお生まれになったのです。ページェントを見るたびに思いますが、主イエスがお生まれになったのは家畜小屋の飼い葉桶であるという事実です。
よほど切羽詰まっていたのだろうと想像しますが、赤ちゃんが生まれるにはふさわしくない場所、まして神様のひとり子がお生まれになるのに、全く整っていない場所です。
しかしそれこそ、この世に救い主が生まれたもう現実と言えるのではないでしょうか?この世は罪に支配されています。そのような世界はそもそも、神様のひとり子が現れるにふさわしい世界、整った世界ではないでしょう。
そうだからこそ、この世界は救いを必要としていますし、神様もそのご計画を成し遂げようとしてくださいました。この世に送られた独り子、救い主イエスさまのお誕生を喜びを持って待ち望みましょう。ハレルヤ!
片平貴宣牧師