『使命に仕える信仰』
エステル記4:13~17
ダニエル書を通して、主の加護について学びました。たとえ祖国を失い、捕囚の民となっても神の愛は微塵も変わることなく、たとえ火の中、獅子の穴の中でも主を信じるダニエルたちを助けてくださいました。
しかして、信仰とは、「自分が助けられる」というだけではないことを教えられます。新年最初の礼拝で詩編23編に学んだように、主は私たちを「青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」御方です。そして、「わたしを正しい道に導かれる」のですが、その「正しい道」には「死の陰の谷を行く」こともあるのです。
信仰の道を貫き行かんとする時、族長アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ダビデ、皆、死の陰の谷を歩みました。エステルも然りです。
エステルが名前の通り、「信仰の星」と呼ばれるのは、
彼女が妃の位にありながらも、同胞を助けるために「定めに反することではありますが、私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。」と信仰によって自らを献げる決心をしたからです。
エステルは王の庇護を受け守られましたが、バプテスマのヨハネ、ペトロの兄弟ヤコブ、ステファノはどうだったでしょうか。伝説によればヨハネ以外の弟子たちは皆、殉教しています。
なによりも、神の御子、キリスト御自身がその命を十字架において献げられました。信仰によって「永遠の命」が与えられるということにおいて神の加護は永遠ですが、時に信仰者は殉教者となってきたのです。
ボンフェッファーは、「善き力に我囲まれ」の詞の中で、「苦い杯をあなたの善い御手から受けます」と言いつつ、「それでもあなたが私どもにもう一度喜びを、この世界とその太陽の輝きを与えたいと思ってくださるならば」と生への渇望を顕しています。
私たちも生かされている喜びと感謝をかみしめつつ、主の使命に、どんなに小さくても伝道の御業に仕えていくことができますように、主を讃美しつつ、祈り歩んで参りましょう。ハレルヤ!
中島 聡牧師