みことばの糧1295

『受難に向かわれる主』

ヨハネによる福音書18:1~11 

私が勤める学校の卒業式では、卒業生が退場する際に「神ともにいまして」を賛美して送り出す時を持ちます。この賛美は葬儀でも歌われるため、別れの歌としての印象があります。しかし、天への旅立ちも卒業も、いずれも「門出」であり、新しい歩みへの出発です。送り出す者も送られる者も、神様の守りと導きを祈りつつ、その道の上に祝福を願う点は共通しています。

本日のヨハネ福音書18章は、イエス様が受難へと向かわれる場面です。イエス様は「黒い」「暗い」という意味を持つキドロンの谷を自ら通られ、ユダが知る園へと進まれました。そこへはユダヤの指導者だけでなくローマ兵も来て、当時もっとも強い権力がイエス様を取り囲みました。しかしヨハネによる福音書は、どのような暗闇の中でも、主権はイエス様の手にあると強調します。イエス様は自ら名乗り出て、「この人々は去らせなさい」と弟子たちを守られました。「あなたが与えてくださった者を一人も失いませんでした」という祈りの成就でした。

イエス様は十字架の無力さの中で、神様の救いの計画を成し遂げられました。私たちはこの代価によって救われ、永遠のいのちを与えられています。「いのちとは与えられた時間」と語られたように、今日覚える召天者も、その与えられた時間を主にささげて歩まれた方々です。その道には喜びも苦難もあり、ご家族も祈りと支えをもって共に歩んでこられました。

受難を意味する Passion は、復活のイエス様に出会った弟子たちの中で「情熱」へと変えられ、使命としての新しい歩みへとつながりました。聖書は一貫して、暗闇から光へ、絶望から希望へと導かれる神様を示しています。たとえ今、私たちが暗闇のただ中にあっても、神様は必ず光へと導いてくださいます。主イエス様が共におられる確かさを覚えつつ、レントの歩みを続けてまいりましょう。

田中 尚美牧師

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