みことばの糧1296

『十字架に向かわれる主』

ヨハネによる福音書19:1~7 
イエス様と総督ピラトの関わりは短いものでしたが、四福音書共に記録され、歴史に残る言葉も刻まれています。
「真理とは何か?(Quid est veritas?)」。とても重い言葉です。「真理、真実、公正とは何か?」、「その答えは人の数だけある」は尤もな答えですが、これではただの無責任です。
確かに人には回答できない問いですが、聖書は明解します。
 聖書はイエス様を「恵みと真理とに満ちていた」と記し、御自身も「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6a)
と宣しておられます。
 真理とは、イエス・キリストであり、キリストが語られた福音なのです。キリストの受難、十字架の贖いによってすべての罪赦され、永遠の命が与えられること、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することが真理なのです。
 ピラトは為政者として統治能力に優れた人であったと思われます。彼はイエス様に罪が無いこと、まして死に価するような罪が無いことを即座に見抜き、何とか釈放をと努めました。
 過越祭には誰か一人に恩赦を与えることができるので、暴動と殺人のかどで捕らえられていたバラバ・イエスを引き合いに出して、さすがにイエス・キリストの方を選ぶだろうと思いきや、人々が恩赦に選んだのはバラバの方でした。ピラトはなおも食い下がろうと、「いったいどんな悪事を働いたというのか!」(マタイ27:23)と叫びますが、ユダヤ教指導者の巧みな陰謀、扇動された大群衆によって暴動が起こりかねない切迫した状況の中で、最後は「この人の血について、わたしには責任がない(直訳:わたしはこの“正しい人”の血について無実だ。)」(マタイ27:24)と言って、“真理”から離れてしまいました。ここに人の限界が記されています。
 ピラトばかりではありません。私たちは自分の力によって真理に達することはできないのです。弟子たちも十字架を前にイエス様から離れてしまいました。しかし、イエス様は全てをご存知であり、既に最後の晩餐において「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」(マタイ26:32、マルコ14:28)と、離反した弟子たちを赦し、もう一度弟子として招くことを約束しておられたのです。
このイエス様の愛が私たちにも注がれているので、私たちは真理を信じ、福音を伝えていくことができるのです。感謝の祈りと共に主に仕えて参りましょう。ハレルヤ!

中島 聡牧師