みことばの糧1298

『復活による永遠の命』

ルカによる福音書24:1~12 
神の御子は筆舌に尽くしがたい苦しみを受けた後、十字架にその御身を献げられました。私たちの罪をすべて贖って永遠の命を与えるためです。
御子は馬小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かせられましたが、それでも「いと高き方の力」、「聖霊の力」が共にありました。マリアとヨセフの信仰、占星術の学者たちの贈り物、エリサベト、シメオン、アンナの祝福もありました。しかし、その最期は完全な孤独(「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)であり、悪魔が勝利したかに見えました。
しかし、御子は十字架の死によって陰府にまで行かれ、「捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教され」、「死んだ者にも福音が告げ知らされた」のです(Ⅰペトロ3:19、4:6)。さらに「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、人々に賜物を分け与えられた」(エフェソ4:8)とあるように、陰府にいた霊を天に連れ帰り、(後のことになりりますが)地上にいる弟子たちが使徒、福音宣教者、牧者、教師となる賜物を分け与えてくださったのです。御子は、絶望でしかない受難と十字架の死でさえも、「愛と喜び」に“聖化”されたのです。
イエス様がこれだけのことをされていた間、弟子たちは死の恐れ、虚無感に捕らわれていました。イエス様を墓に葬ったのは弟子たちではなく、アリマタヤの議員ヨセフでした。弟子たちはもう少しで悪魔に呑み込まれてしまうところでした。
しかし、マグダラのマリアをはじめ、イエスの母マリア、ヤコブの母マリア、クロパの妻マリア、婦人たちがとにもかくにもイエス様の御遺体に香油を塗ってさしあげたいと墓に向かい、復活のイエス様に出会い、甦りを弟子たちに告げ知らせることができたのです。
「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」とありますが、真っ暗闇であった心に一筋の光が差し込んだことは間違いありません。「ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞ」いたとあります。何もできなかった弟子たち
がとにかく動いた!生きた!のです。
 永遠の命は、ただひたすらに神の愛、キリストの愛による恩寵ですが、私たちが信じて受け入れなければ、その木に繋がる枝とならなければその実を結ぶことはできません。
 主は一人一人に「マリア」を備えていてくださいます。その愛と恵みに気づき、心を開く時がきます。イースターの朝、わたしたちの心を永遠の命へと向ける善き時であり、善き力に囲まれる時です。共に主の御名を讃美して参りましょう。 ハレルヤ! 

中島 聡牧師