みことばの糧1300

『福音の証人となれ』

ルカによる福音書24:44~53 
  復活のイエス様は昇天に際して、弟子たちに地上における最後の教えと派遣の言葉(力)を与えてくださいました。
 「わたしについて【モーセの律法】と【預言者の書】と【詩編】に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。」
 モーセは、キリストの預言であり(「過越の犠牲の羊」出エジプト記12:21、「青銅の蛇」民21:9⇒ヨハネ福音書3:14-15)、民に水をもたらした「メリバの岩」(出エ17:6)はキリストであったとパウロは記しています(第Ⅰコリント10:4)。
 預言書も詩編も、キリストについて預言の言葉を数多く残しています。イザヤ書7:14(インマヌエル)、同9:5~6(降誕)、同53章(受難)、エレミヤ書11:19(受難)、同31:31~34(キリストによる信仰義認)、ゼカリヤ書9:9(エルサレム入城)、詩編22:2、22:17~19、34:21(受難)、ヨナ書(キリストによる万人救済)。
 しかし、いくらこれらの言葉を読んでも、イエス様に「心の目を開いて」いただき、「聖書を悟らせ」ていただかなければならないとあります(ルカ24:45)。
 そうするならば、キリスト(メシア)は三日目に復活されたこと、悔い改めによって罪赦され、永遠の命が与えられることを、全世界に伝えることができるのです。 ただし、それすらも私たちの力ではなく、「高い所からの力(聖霊)に覆われる」ことによって成し遂げられることを忘れてはなりません。
 キリスト(メシア)の降誕、救いの始まりも、確かにマリアの「お言葉どおり、この身に成りますように」という信仰告白はこの上なく大切なものですが、それすらも「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなた(マリア)を包」んだからなのです(ルカ1:35~38)。
 ルカ福音書が締め括られます。イエス様はなぜ弟子たちを「ベタニアの辺りまで連れて行き、祝福された」のでしょうか。
おそらく重い病、苦しみ、悲しみにある人々のことを忘れないように、律法と預言者の書の全てである「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」の教えを弟子たちの胸に刻み込むためであったと示されます。主に倣い、主の復活と主の福音の証人となることができますように祈り、力を合わせて参りましょう。ハレルヤ!                  

中島 聡牧師