『神と人とに愛される』
ルカによる福音書2:41~52
今日の箇所は、数少ない少年時代の主イエスの姿を描いています。12歳でのエルサレム行きは、ユダヤ人にとっては特別な意味があります。これはユダヤの成人式、「バル・ミツバー」と呼ばれるものです。シナゴグで律法の朗読を行い、これ以降は律法を守って生きていくことを宣言するのです。
そして、ユダヤ社会においては成人式を済ませると、一人前とみなされます。すなわち、「宗教的・社会的な責任を持った大人」であると受け止められます。そして大人であるということは、誰でも聖書を解釈することが可能でした。神様の前では年齢が違っても、ラビでなくても平等です。ですから少年イエス様は神殿で、律法学者たちと受け答えをしていたのです。
その様子は、「聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。」(ルカ2:47)とあります。きっと少年イエス様は「僕はこの聖書の箇所についてはこう思います。先生はどう思いますか?」などと、神殿にいた律法学者たちと論じあっていたのでしょう。それも、3日に渡ってです。
12歳といえば小6か中1ぐらいですが、その年代は現代の私たちの感覚からすればまだ子供でしょう。私も以前関東学院小学校において5・6年生の聖書科の授業を受け持ちましたが、彼らを思い起こしますと、まあ年齢相応と言いましょうか、まだまだ大人とはいえないそんな年頃です。
無論、少年とはいえ主イエスですから、特別な神さまからの知恵を頂いていたと思いますが、それでも普段から聖書に身近に接していなくては、このような出来事は起こり得なかったでしょう。そしてその背後には、ヨセフとマリアの教育があったことを忘れてはなりません。
神さまに忠実なヨセフとマリアの教育があり、それを主イエスもまっすぐに受け止められたのでした。それは、荒野の誘惑に合われた時の主イエスの姿からもわかります。3つの誘惑に対して、主イエスは全て聖書の言葉で、申命記の御言葉から、すなわち律法からお答えになりました。これも日々聖書を学ばれたからこそなせる業であったでしょう。御言葉に聞き、その通り行う幸いな歩みを進めましょう。ハレルヤ!
片平 貴宣牧師