みことばの糧1307

『洗礼を受ける』

マタイによる福音書3:1~6
「洗礼者ヨハネ」と呼ばれるほど、彼の福音宣教は洗礼を授けることに特化していました。
 かつてユダヤには、アロンをはじめ祭司一族を清めるために「沐浴、水で洗う儀式」(ミクワー)はありましたが、罪人を水で清めるなどということはありませんでした(出エジプト記29:4)。
 ところが、ヨハネは「エルサレムとユダヤ全土から、またヨルダン川沿いの地方一帯から」来た人々に、罪の赦しを得させるための洗礼を授けのたでした。
 このことに対して、ユダヤ教指導者たちは「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」(ヨハネ1:25)と問い掛けました。
 ヨハネにこのことを為さしめたのは-「神の言葉が荒れ野でザカリヤの子ヨハネに降った」(ルカ3:2b)-、神の召命によるものですが、ヨハネは、「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」(マタイ3:11)という表現で、真のメシア、イエス・キリストによる真の救いへの備えであると答えます。
 今、教会において洗礼式を執行していますが、牧師が「父と子と聖霊の御名において、我、汝にバプテスマを授く」と宣言するとおり、真の執行者は「三位一体の神」であり、イエス・キリストの十字架による血潮が流されたこと、神の愛が確かにこの地に注がれたことによって完全な罪の赦しと永遠の命を授与する洗礼式が成就したのです。
 ヨハネによる洗礼に、神の御子イエス様が臨まれました。当然ですが、ヨハネはとんでもないことですと、思いとどまらせようとします。しかし、イエス様は真の洗礼を完成させるために、やがて全ての人の罪を背負って十字架に架かるために洗礼を受けられました。「その時、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」(マタイ3:17)。
 洗礼を受けるとは、徹頭徹尾、神の愛に満たされ、永遠の命までも与えられることなのです。ハレルヤ! 

中島 聡牧師