みことばの糧1308

『喜びが満ちるため』

フィリピの信徒への手紙2:1~11 

 「喜び」というものは、同じ状況にあっても、その時の立場、感覚、また志によって得られたり得られなかったりするものであることを思わされます。

聖書が教える道は、「喜び」の道です。人生、生きていれば色々問題は生じるし、年を重ねれば体は痛くなるし、今は世界情勢も不安で、物価も高くなるし。そんな喜べる状況じゃないでしょ!と思う所もあるのですが、でもどんな状況にあっても「喜び」を選び取る。これが聖書に聴き従う者の歩むべき道、と教えるのです。どんな状況にあっても「喜ぶ」ため、いつでも「ハッピー信仰」に挑戦していきましょう。

今日の箇所では、フィリピの人々に、あなたがたも私と同じ思いとなって、キリストに倣って歩もう、と勧めます。その中でキリストがどのようなお方か確認もされています。それは、神であったお方が人となり、へりくだって、十字架の死に至るまで神に従順されたことを思い起こさせます。さらに、神は、このキリストを高く上げ、全ての者が神を讃えるようになる、と教えました。

イエスさまの姿。どのような姿を思い浮かべますか?神の位を捨て、人間となられた。その時、その心はどんな状態でしょう?痛みがあった。苦しみもあった。屈辱的な扱いをされています。それでも主の心は喜びがあったことでしょう。「ハッピー」というと軽く聞こえますが、神の道を歩む時、そこに充実感があり、安心感があり、誇りがあり、希望が生まれます。それらが「喜び」と言う言葉、「ハッピー」であると覚えて頂ければと思います。そしてその「ハッピー信仰」をもって歩むため、心がけることを覚えましょう。

① 利他を求めること:人生を苦しくする要因に、「比較」があります。他者より優れた者でありたい、と。神であるイエスさまは、比較世界の中では最下位に立たれました。本質的なところで「僕」となられたのです。仕えるだけ。ご主人のために生きる道を選ばれました。自分の利益ではなく、他者の利益を求める生き方に徹したのです。これに倣いましょう。

② 自分の十字架を背負う:自分の思い、願い求め、偏見があると、どうしてもそれを基準に物事を判断し、時にそれが不平不満、愚痴、批判に繋がることがあります。神の御手に全てを委ねる。神が許されて今の状況がある。だから、御心に全てを委ねるのです。自分を十字架につけてしまう。御心の中で生きる事。その時、平安が心を包みます。

③ イエスを主とする:十字架の主を神は高く上げ、全てのものが「イエスは主」と告白し、神を讃える、と。神は、私たちを礼拝者として造られました。ただ主だけを崇めること。それが我らの歩むべき道なのです。神を礼拝する人生を選び取る時、余分なものに心奪われる必要がなくなります。自分の人生を歩めますので、煩わされることなく、どのような状況も喜び楽しみながら受け止めることが出来ます。

私たちはこの世を明るく楽しくするものです。冷え切った世界に温もりをもたらし、喜びを生み出す存在として遣わされています。キリストを一点に見つめながら、ハッピー信仰を持って行きましょう!ハレルヤ! 

伊奈 聡牧師(南信州フォレスチャーチ)