『主の弟子になるとは』
ルカによる福音書6:12~19
本日は週報に「ホーリネスの群弾圧記念日」とあります。ホーリネスの群においては6月を「四重の福音強調月間」とし、弾圧記念聖会を行っています。今年は6月21日に東京聖書学校において聖会が行われました。
これらは第二次世界大戦中の1942年6月26日に政府による「ホーリネス弾圧事件」に由来します。伝道者の検挙や教会解散が命じられ、獄中で亡くなった牧師もおりました。とはいえ、直接弾圧を経験された方はもう少なくなりました。
今年の弾圧記念聖会の説教者は、以前東京聖書学校の舎監もしておられた西海満希子先生で、弾圧を受け獄中で死なれた菅野 鋭(すげの とし)先生のお証しをして下さいました。西海満希子先生のお父さん、湯沢先生は菅野先生によって導かれ、救いと献身に至ったのです。
この湯沢先生は喬木教会の牧師をしておられました。先々週来られた伊奈聡先生の教会、南信州フォレストチャーチの前身です。湯沢先生が信仰へと導かれたのは横浜ホーリネス教会でした。菅野先生は山形や、仙台の教会に遣わされたりしますが、伊勢佐木町に教会を建てる働きをされたのです。しかし関東大震災に遭い避難生活を余儀なくされるも、横浜での伝道に仕えていました。
1941年(昭和16)、太平洋戦争が勃発し、日本のプロテスタント教会をまとめる国の命令が出され、日本基督教団が成立します。翌1942年(昭和17)、ホーリネス教会への弾圧事件が起こりました。
菅野先生は早天祈祷会を済ませて食事中、突然警察がやってきて連行をされました。「これは日本全国に及んでいる。少し長くなるからそのつもりで」と言われ、拘置所へと連れて行かれました。少し前に肺を患い、心身に不安のあるなかでの獄中生活でした。
拘置所では絶対に当人には会うことが許されません。判事の調べまで1年以上会わせません。妻が毎食弁当を作って伊勢佐木署に持って行きましたが、会うことは許されませんでした。
一年以上が経った翌年の8月、ようやく面会が叶いました。しかしその後、1943年12月1日、急性肺結核、吐血による窒息で亡くなりました。
菅野先生は獄中でも「天皇もイエス・キリストの贖罪が必要である」と語られました。全ての人がすべからく罪人であり、等しく救いに招かれている、という篤い信仰と伝道の魂を感じます。
今もし弾圧が起こったら私たちはどうすべきか、簡単な問いではないでしょう。しかし、多くの先人達の信仰があって今の教会がある事を心に留め、主に従う者として歩みましょう。ハレルヤ!
片平貴宣牧師