『祈りを紡ぐ主』
マルコによる福音書5:35~43
会堂長ヤイロの子の癒しの奇跡に学びます。前回、王(ヘロデ・アンティパス)の役人の子の癒しの奇跡において、イエス様は、「あなたがたはしるしを見なければ決して信じない」と、否定的な発言をされました。教理的信仰の本筋から外れていたからです。しかし、イエス様はその子を癒されました。そこに子を想う親の愛が溢れていたからです。
会堂長は当然ユダヤ教指導者の一人であり、マルコ福音書3:6「ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた」とある通り、イエス様のことを敵視する一員でありました。
しかし、ヘロデ王の役人と同様、愛する我が子のためになりふり構わず、大勢の群衆の前でイエス様の足もとにひれ伏し、「わたしの幼い娘(12才)が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう」と懇願したのでした。
するとイエス様の否定的な言葉は何も記録されず、「ヤイロと一緒に出かけて行かれた」とあります。福音書記者たちはイエス様の御心、私達への神の愛を記録するのです。
イエス様は少女を癒しに向かわれましたが、途中、大勢の群衆に囲まれる中、12年間も出血が止まらない病の娘がイエス様の衣の房に触れて癒された出来事があり、会堂長の家の人々がやってきて言ったことは、「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう」と死去の伝言でした。
この伝言は会堂長に告げられたものでしたが、「イエスはその話をそばで聞いて、『恐れることはない。ただ信じなさい』と会堂長に言われた」とある通り、イエス様が積極的に会堂長を励まし、そして、自ら率先して少女の蘇りの奇跡をおこされたのでした。
王の役人も、会堂長も、“正しい信仰”を持ってはいませんでした。しかし、子への愛に満ち、「どうか助けてください!」とひたすらに祈っていたはずです。イエス様は何よりも愛を、祈りを大切にして下さるのです。私たちの信仰生活においても最も大切なことは神を愛し、隣人を愛することであり、それは祈りによって紡がれていくのです。共に救いのため祈って参りましょう。ハレルヤ!
中島聡牧師