『見えないものを信じる』
創世記3:1~7
創世記3章は「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。」(創世記3:1)と言う言葉から始まります。ここを読みますと、「なぜ神さまは蛇を造ったのだろうか? 造らなければアダムとエバは堕落することはなかったのではないか?」という思いが湧きます。
「善悪を知る木」も、それさえなければ人が神さまに背かなかったろうに、とも思います。「見よ、それは極めて良かった。」(創世記1:31)と言われていたはずの天地万物に、綻びが生じていたかのような印象すら受けます。
なぜ神さまは善悪を知る木を造ったのだろうか、と私も教会へ行き始めた頃に疑問に感じました。それさえなければアダムとエバも罪を犯すことはせずに済んだのではないか、と思ったものです。
それで、母教会の先生に質問をしたことがあります。その時の答えは、正確な表現は忘れましたが、「神さまは人間を自由な意志を持つ存在として造られ、その自由な意志を尊重しておられる。自由な意志があるからこそ神さまに背くことも出来るけれども、その自由な意志で神さまに従うことを、神さまはお喜びになる」との事でした。
すなわち神さまは、私たちを命令されたことをただ守るだけの存在にはしなかったのです。自分で考え、どう行動するべきか判断する力が与えられているのです。それはやはり神さまの似姿として造られた結果の一つなわけですが、神さまによって素晴らしい能力が私たちには備えられています。
けれども、その能力をいかに用いるか、が問題になってきます。だからこそ「主を畏れることは知恵の初め。」(詩編111:10、箴言1:7、9:10)と聖書には繰り返されているのでしょう。
蛇は「最も賢い者」と評されたわけですが、どんなに賢くても神さまを畏れないのならば、それは間違った方向へ進んでしまうことになるのでしょう。
そのまどわしは巧妙です。でも、本当に私たちが従うべきは、神さまの御心です。ですから、常に祈り心を持って「神さまの御心は何でしょうか?」と求めていく必要があります。願わくは私たちは神さまを畏れることを忘れずに、与えられている知恵や賜物を神さまのために用いて歩みたいと思います。ハレルヤ!
片平貴宣牧師