みことばの糧1320

『罪をも統べる主』

主は、天地万物、すべての命あるものを「極めて良いもの」として創造され、第七の日、安息の日を祝福し、聖別されました。

ですから、私たち人も創造の時に「神の息・神の霊」をもって命あるものとされ、大いに祝福されているのですが、第七の日、安息の日を、祝福の時、聖別の時とする、すなわち主日礼拝を守ることが、天地万物、すべての命への祝福を守り抜くことに繋がると示されます。

しかしながら、人は悪魔の誘惑によって「善悪の知識の木の実」を食べて以来、原罪を内包し続け、真の礼拝を捧げることができないでいます。

聖書における善とは、あってあるもの、生ける神、生ける神の子キリスト、すべての命あるものへの祝福を願う主の御教えを信じ生きていくことです。

悪とは、命のないもの、神ならぬものを神(絶対のもの)としてしまうこと、すなわち偶像に従って生きることです。

カインは、「自分こそが正しい」という思い込みを絶対のものとして弟アベルを殺してしまいました。本来ならここで祝福は終わりです。しかし、主は「わたしの罪は重すぎて負いきれません」というカインの罪の自覚、悔い改めの告白によって、カインに守護の「しるし」を付けられました。まさに「神は愛です」(ヨハネの手紙一4:16)。

 人が原罪によって神ならぬものを神としてしまう時、祝福と聖別は失われ、多くの命が奪われてしまいます。聖書は、

遙か古より、「偶像を造り、それに依り頼む者は皆、偶像と同じようになる」、「口があっても話せず、目があっても見えない。…手があってもつかめず、足があっても歩けず、喉があっても声を出せない」と教えています(詩編115:5-8)。こんな戦争はダメだと分かっていても何も言えず、大空襲、原爆の惨禍を見てもなにもできず、その手で命をつかむことも、平和への歩みを踏み出すこともできない。私は、最大の偶像とは人であり、戦争のことだと思います。

 「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。…これこそ、御子がわたしたちに約束された約束、永遠の命です。」(ヨハネの手紙一2:24-25)。人の力は原罪に打ち勝つことができません。しかし、主は罪をも統べ、これに勝利し、私たちを赦し、永遠の命を与えてくださる救い主です。この真の福音を宣べ伝えて参りましょう。ハレルヤ!

中島 聡牧師