『真の礼拝を捧げよう』
創世記11:1~9
『バベルの塔』の物語です。ノアの大洪水によって、地上から悪は滅びたはずでしたが、残念ながら、また傲慢な人たちが人々を支配するようになってしまいました。
「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう。」ここに、「神様よりも上の存在になろう」という思い上がった心があります。石の代わりにレンガ、しかも「よく焼いた強度の高いレンガ」を使用し、漆喰の代わりにアスファルトを接着剤にしてどんどん高い塔を建てていきました。確かに技術力は高まっていますが、上述のとおり、その分鼻も高くなり、心まで思い上がってしまいました。高い塔を建てるためには沢山の人たちが従事していましたが、皆が喜んで作業していたわけではありませんでした。ですから、言葉が通じなくなった時点で、皆、散り散りになってしまいました。
「みんなのため、未来の子どもたちのために○○を建てるんだ!さあ、がんばるぞ!」こんな思いで働くことができる社会は、きっと幸せに満ちていることでしょう。
有名な話です。三人に同じ質問をします。「あなたは何をしているのですか?」、一人目:「うるさいな!見れば分かるだろう。レンガを積んでるんだよ!あっちいけ!」二人目:「壁を作ってるんだよ。毎日、毎日、同じことの繰り返し。おもしろくもなんともないよ。」三人目:「わたしは教会を建てているんです。この壁はその一部です。いや~、将来、ここで沢山の人たちが集まり、子どもたちは讃美を歌い、みんなの憩いの場、祈りの場、幸せな場所になることでしょう。この建築に携わることができてわたしは幸せ者です。」
礼拝において、私たちは祝福を祈り求めるものですが、それは自分たちだけではなく、真の礼拝とは、イエス・キリストがすべての人のために命を捧げてくださったように、私たちもすべての人への祝福、未来の子どもたちへの祝福を祈り求めるためにあります。
教会には讃美歌があります。主を讃美するとは、すべての人を祝福してくださる主を、その主の愛を讃美するのです。
「ワハンバナティ」とは、アフリカ・ズールー語で、その人の健康や、元気でいることを祈り願う思いのこもった挨拶語です。貧困、スラム街、何も持っていない子どもたちがきれいな瞳で讃美しています。
家族の日合同礼拝、主の愛に満たされ、すべての人への祝福、子どもたちのための平和を祈り求め、讃美し、真の礼拝を捧げて参りましょう。ハレルヤ!
中島 聡牧師