みことばの糧1182

『信仰による塩と光』

マタイによる福音書 5章13節~16節
「山上の説教」においてイエス様が二番目に説かれたこと。一番目の「八福の教え」は、イエス様はすべての人を祝福される、すなわち、十字架と復活をもって私たちに永遠の命を与えると宣言するものでした。

 二番目が「地の塩・世の光」です。イエス様は、「あなたがたは地の塩である!」と宣言されました(「幸いになる」ではなく「幸いだ!」と同じです)。

 塩は、生命維持に不可欠な要素です。塩味ばかりではなく、腐敗防止、なによりも信仰上の“清め”という重要な役割を担っています(レビ記2:13)。

再度、言いますが、この山上の説教に招かれていた人たちは、あらゆる病気や苦しみに悩み、悲しんできた人たちです。その家族、その友人たちです。「因果応報」、病は罪の結果と考えられていた時代にあって、どんなに自尊心を傷つけられ、存在価値を否定され、理不尽な扱いを受けてきたことでしょうか。イエス様は、第二に、「あなたは必要不可欠な人なのだ」と宣言されているのです!ハレルヤ!

「塩に塩気が無くなったら、何の役にも立たず、外に投げ捨てられる」とは厳しい言葉ですが、イエス様の御心を受け取るべきです。イエス様がそうすると言っているのではないのです。実際に、世間は塩に対してそのようにするのです。しかし、今や、あなたがたは主に祝福された者なのです。立派な“塩”なのだから証を立てるように、否、「あなたは証をたてることができる!」と告げておられるのです。

その具体的な意味内容を伝えるために「あなたがたは世の光である」と語られます。「ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(15,16)

 もちろん、自己顕示ではありません。イエス様に祝福していただいたことへの感謝、すなわち信仰によって「地の塩・世の光」として主の御業に仕えていくのです。福音を伝えて参りましょう。

ハレルヤ!中島聡牧師