みことばの糧1183

『完全なる神の愛』

マタイによる福音書 5章43節~48節

 山上の説教の中でも最難関と言われる「敵愛」の教えです。イエス様の説教を見ていますと、一つ一つが非常に短いことに気付かされます。「八福の教え」、「地の塩世の光」のようにイエス様が宣言される教えもあれば、おそらくは群衆からの質問に応答する形のものもあったのでしょう。当時、学問をおさめ、字の読み書きができる人たちはほんの一握りでした。イエス様はすべての人が理解できるように、他にも譬えを用いて教えられました。

 「復讐したいという思いにかられるがどうしたらよいのでしょうか?」、「敵に対してどうしたらよいのでしょうか?」まさに今日の私たちが抱える苦悩苦悶です。

 「やられたらやりかえす、倍返しだ!」というセリフが2013年の流行語大賞の年間大賞に選ばれました。旧約時代ですら「目には目を、歯に歯を」という限定復讐法が定められ、過剰な復讐を諫める法規制があり、せめて同等の報復にしておくようにということでした。

 しかし、イエス様は「報復をしないように」と言われ、さらには「敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」と教えられました。それは、「あなたがたの天の父の子となるためである」、すなわち、イエス様の弟子、信仰者となるには、報復しないどころではない、汝の敵をも愛し、敵のために祈る者となるように言われたのです。驚天動地の教えだったことでしょう。

 「天の父は悪人にも太陽をのぼらせ、雨を降らせてくださる」とは、良き働きかけと言えます。さらに聖書の言う「愛する」とは、先ず赦すことであり、その人のために自らを捧げることを意味します。

誰もが不可能の文字を思い浮かべます。ここで大切なことは、「富める青年」(マタイ19:16-22)のように「悲しみながら立ち去る」のではなく、悔い改めの祈りを捧げ、先ずイエス様に自らを赦していただき、完全な神の愛の前にあって不完全ながらも、信仰の道を歩み続けていくことです。イエス様は十字架において「父よ、彼らをお赦しください。」(ルカ23:34)と愛の祈りを捧げてくださいました。説教を聞くとは主の御声を聞くことです。愛され、赦された恵みに感謝し、主の御救いを宣べ伝えて参りましょう。

ハレルヤ!中島 聡牧師