みことばの糧 1184

『神の国と神の義の祝福』


マタイによる福音書6章25節~34節

主イエスの教え、山上の説教に聞いています。一貫して語られていることは、「神の国を見上げよ、地上の事柄に目を奪われるな」という教えでしょう。
私たちの目を神さまから背けさせるものが色々あります。ですから、主イエスは今日開かれた箇所で、「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。」(マタイ6:25)と語られました。
「思い悩む」と訳されている言葉は、原語を見ると「心が色々のものに裂かれて乱れること」という意味で
す。心が定まらないような、真っ直ぐに見上げるべきものを見上げていないような状態です。
けれども「衣食住」は生活の基本です。それらを軽んじるのではありません。神さまへの信頼を否定するような思い煩いを抱くのはやめなさい、という教えです。
誰でも、「今日の食事は何にしようか、今日はどんな服を着ようか」と考える、悩むことがあると思いま。
そのような悩みを否定しているわけではないのです。食事も、衣服も、住まいも、これは神さまが与えてくださったものだ、神さまが備えてくださる、との信頼を忘れないことが大切なのです。
一口に「思い煩い・悩み」と言っても、「前向きな悩み」と「後ろ向きな悩み」があると思います。将来を考え、自分がこれからどのような選択をしていくべきか、前向きに悩む、建設的な悩みは必要なことです。
けれども私たちは往々にして、後ろ向きに悩み、それに囚われます。明日のことを思い悩みますし、昨日のことを思い悩むのです。
そのような悩みは実際の所、いくら悩んだからと言って解決することがないものがほとんどです。変えようのない出来事で思い悩むとき、いくら悩んでも解決が得られないので、また落ち込む、堂々巡りをする事になってしまいます。
それは結局、心が乱され、神さまから目を背けさせる事となります。地上の事柄に目を奪われるのではなく、神さまと神の国を見上げて歩みましょう。ハレルヤ!

片平貴宣牧師