みことばの糧1189

『主の晩餐への招待』

マタイによる福音書26章26~30節
「最後の晩餐」に学びます。私たち、プロテスタント教会は、聖礼典として、洗礼式と聖餐式の二つを制定しています。どちらもイエス・キリストが「執り行いなさい」と命令されたことに基づいています。
洗礼式は、マタイによる福音書28:19-20「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」と命じられたことに基づいています。そして、聖餐式が今、司式者に読んでいただいた「最後の晩餐」におけるイエス様の言葉、そして、コリントの信徒への手紙第一11:23-26に「主の晩餐の制定」として記されていることに基づいて定められています。今朝は、聖餐式の原型となる最後の晩餐に学んで参ります。

このイエス様と十二弟子との食事に遠大なる神の救済史が集約されています。「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしの体である。』」
また、「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と告げられました。

かつてイスラエルは、出エジプトにおいて、鴨居と二本の柱に犠牲の羊の血を塗ることによって裁きを過ぎ越すことができました。また、荒野の四十年において日々、マナによって守られてきました。
この出来事によって、奴隷であったイスラエルの民は解放され、神の民として、生きていくことができるようになったわけです。イスラエルの民が何か素晴らしい業、善行を行ったからではありません。ただ、神がイスラエルの民を憐れまれたから、神の愛によることです。神は、過越の恩寵、またマナを与え、さらに昼は雲の柱、夜は火の柱としてイスラエルを守り導かれました。すごい恩寵、恵みです。

しかし、それらは、イスラエルの民にのみ与えられた恩寵と恵みであり、また、彼らに全き罪の赦しによる永遠の命を与えるものではありませんでした。天地万物を創造され、すべての命の創造主である神は、すべての命の救いを願っておられます。神はイスラエルの民を選び、彼らを選民として、そこから救いが全地に広がっていくことを願われました。しかし、残念ながら、イスラエルは神に背き、王国の分裂、そして、王国の滅亡という背信の道を辿ってしまいました。

しかし、神は愛なり、神の愛は憐れみの愛、完全なる愛ですから、人の過ち、人の罪によって左右されるものではなく、神は御子イエス・キリストを世に遣わし、イスラエルのみならず、すべての人の救いをもたらされたのです。
イエス様はヨハネ福音書6章35、48節において言われました。「わたしは命のパンである」(ヨハネ6:35,48)。
最後の晩餐はご存知の通り、パンと葡萄酒によるものです。
特別のご馳走という訳ではありません。後で触れますが、弟子たちにとってみれば、これすらもご馳走であったかもしれませんが。

しかし、このパンはただのパンではなく、「命のパン」なんですね。イエス様は、この晩餐において、永遠の命を授けるための「命のパン」、すなわち御自身を分け与えることを告げられたのです。
そして、「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と告げられた通り、この葡萄酒は、罪を赦すためのイエス様の血潮であったのですね。
イエス様は、この後、十字架においてその身を裂かれ、釘打たれ、血潮を流されました。最後の晩餐は、イエス様自らが犠牲の供え物となること、そこまで弟子達、私達を愛し抜かれていることが明らかにされている食事なのです。
どんなに恵みに満ちた食事であるか、ということを心に刻みたいと思います。

ここで、イエス様の深い愛を知るために、これまで弟子たちとすごされてきた日々を、食事に焦点を当てて振り返ってみたいと思います。イエス様は弟子たちとおよそ3年の間、寝食を共にされましたが、聖書に残されている食事の場面は数回しかありません。たとえば、徴税人マタイの家で大勢の徴税人や罪人たちとの食事(マタイ9:9~)の場面、また、ルカ19章、同じく徴税人ザアカイの家に宿を取った場面。食事をしたとはありませんが、泊まっているのですから、食事はあったでしょう。
それから、ファリサイ派に誘われての食事が三度(ルカ7:36~、11:37~、14:1~)、マルタの給仕による食事が二度(ルカ10:38~、ヨハネ12:2~)、聖書に記録されているのは、ほとんどが、いわゆる“外食”なんですね。

イエス様と弟子たちとの食事については、サマリヤの女性から水を飲ませてもらっていた時、「ラビ、食事をどうぞ」と弟子たちが差し出した「何か」(ヨハネ4:31)。
これ、食事がなんだったのかは、書いてありません。しかし、普段のイエス様と弟子たちの食事がどんな風だったのか、推測できる記事があります。
マタイ15:34、マルコ8:1~の「四千人の給食」を読みますと、弟子たちは「パン七つと小さい魚が少しばかり」しか所持していません。
ヨハネ6:9、「五千人の給食」では「パン五つと魚二匹」しかありません。しかもヨハネによればそれは「少年が持っている」、弟子たちのものではなく、少年の持ち物と記されています(ヨハネ6:9)。
イエス様と弟子たちの日常的な食事がどんなふうであったかが想像されます。最も印象的な食事風景は、「ある安息日に、弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた」(マタイ12:1~)ではないでしょうか。
安息日は、食べ物を収穫したり、火を使って調理したりできないので、前日に準備しておくんですよね。それで、明日は、聖別の日、安息日だから、主を礼拝することに集中しましょう。イスラエル人、みんなそうしているわけです。

しかし、安息日に空腹になった、ということは、そもそも備えをすることができていない、前日から十分な食事がとれていない、ということですね。前日から、そもそも安息日に備えるものがない、明日食べる物がない、という状態であることが分かります。けっこう、みじめだったと思います。神の御子、王の王、主の主、万軍の主が、食事にも事欠く。なかなかできることではないですね。

また、弟子たちも、よく頑張っていたのだと思います。四千人の給食、五千人の給食で、大量のパンに喜んだのは弟子たちだったかもしれないですね。弟子たちは、十分、イエス様と苦楽を共にしてきたのだと知らされます。

最後の晩餐の時、十二弟子以外の他の弟子たちはみんな去って行ってしまっていますので、この弟子たちの根性は大したものです。しかし、それでも、それでもですね、厳しいようですが、弟子たちはイエス様と神の愛の関係には、なっていなかったんですね。

イエス様は、我が肉、我が血を献げ、与えてまでもと、弟子たちを愛し抜かれた。

しかし、弟子たちは、ユダの裏切り、ペトロの否認、わたしはあの人のことを知らない、と皆、逃げてしまいます。
一生懸命、苦楽を共にしましたが、神の愛には至らなかった。
しかし、ここで、申し述べたいことは、弟子たちの力不足ではなく、人の力では神の愛に至ることはできないということであり、イエス様は、そのために、そこを救うためにこそ、この世に来られた。
世は闇であったとは、どうしても神の愛に立つことができない人の心のことです。しかし、その闇を照らすためにこそ、イエス様はこの世に真の光として来られたのです。
私たちは欠けのある土の器です。だからこそ私たちは聖餐による赦しと恵みに与るのです。

今日は世界祈祷日ですね。昨日、世界祈祷日、横浜地区集会が捜真バプテスト教会において開催されました。
これは、世界キリスト教協議会WCC、日本キリスト教協議会NCCの女性委員会が主催者となって、毎年、開催されているものです。特に世界の女性、子どもの支援を覚えて祈りが捧げられています。
戦下にある人々、難民生活を余儀なくされている人々、災害復興の途にある人々…、今こそ神の愛が求められていると思います。

イエス様は、最後の晩餐に賛美の祈りを捧げ、感謝の祈りを捧げて臨まれました。私たちは、共に主の食卓に招かれています。
まず賛美の祈りを捧げ、感謝の祈りを捧げ、永遠の命を与えられる恵みに応えて、受難節一斉訪問、そして、福音宣教に仕えて参りましょう。ハレルヤ!

中島 聡牧師