みことばの糧1194

『豊かに実る信仰』

マタイによる福音書13章18節~23節
「種蒔き」の譬えに学びます。イエス様は御救いを説くにあたって、皆に分かりやすいように譬えを用いられるのですが、この譬え話はストレートではありません。前半(1-9)を読みますと、「全ての種を道端や石だらけ、茨のところに蒔かないで、良い土地に蒔いてくださったらいいのに」と思ってしまいます。
イエス様は大勢の群衆に向かって舟から話されていますが、マタイ12:38-39を読みますと、いくらイエス様が福音を説いても「しるし」を欲しがる人々(ユダヤ教指導)に向けて少し考えるように促されたのかもしれません。
13節「見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである」、さらにイザヤ書6:9-10「あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが決して認めない」とは手厳しい言葉です。
しかし、イエス様は後半(18-23)において、しっかりとこの譬えの真意をお話になりました。道端、石だらけ、茨とは、御言葉を受け取る私たちの心のことであり、せっかくの福音も素直に聞かねば、「悪い者が来て奪い取」られてしまうのです。
「良い土地」とは、「御言葉を聞いて悟る人」のことであり、その証は、御言葉が百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶことで分かると説かれます。
救いはもちろん先ずその人、個人の救いにありますが、真に御言葉を悟った人は、救いの恵み、神の愛に満たされ、人を裁くのではなく、人にその恵みと愛を伝え、分け与えていきます。そのために自ら捧げて仕える者となり、福音を宣べ伝える者となるのです。
「悪い者」=「悪魔」(ルカ8:12)は御言葉が増え広がらないように奪い取ろうとします。人の力で立ち向かうことは困難です。しかし、「サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれる」(ローマ16:20)とあります。私たちは主に信頼し、主の愛と聖霊の力によって御言葉の種を蒔く者です。気落ちしそうな時は『種をたずさえ』を読んでみてください。どこまでも分かりやすく福音を説き続けてくださったイエス様の姿、イエス様に従い行かれた先達の姿を仰ぎ見る時、大きな励ましが与えられます。
最初に御救いの種を受け取った時の喜びと感謝をもって、祈り合い、支え合って、この教会に与えられている豊かな福音宣教に共に仕えて参りましょう。2024年度の種蒔きが始まっています。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(Ⅱコリント6:2)なのです!

ハレルヤ!中島 聡牧師