みことばの糧1195

『天国の鍵とは赦すこと』

マタイによる福音書18章21節~35節

18章は弟子たちの人間関係に関するイエス様の教えが集められています。特に18章21-35節はこの章の最後の部分ですが、テーマは「ゆるし」についてです。21節でペトロがイエス様にゆるしについて聞いており、35節でも要約的に「ゆるし」が強調されています。その間にたとえ話が挟まれています。このたとえ話には王と王から金を借りた家来たちが登場します。その中に1万タラントン借金している家来が登場します。タラントンは新約聖書の時代の貨幣価値の中で最高の単位です。1万タラントンは約15億円です。これは普通だったら返済不能の負債ですが、王はこの家来を赦しました。
ゆるしとは神様が受け入れて下さるということです。それは人間の内側の感傷的な、または道徳的な行為ではなく、神様の赦しにあずかるということです。つまり、ゆるしの主体は神様であり、私たち人間にとっては「ゆるされる」という体験しか証できません。例えばルカによる福音書7章36節以下で出てくる罪の女は黙って香油をイエス様に塗りました。それに対し、イエス様は「わたしはあなたをゆるす」とは言わず、「あなたの罪は赦された。」と言われました。そして、彼女のすべてが変えられたのです。神の愛によって変わるのです。哲学者のティリヒは「あなたの罪は赦された」という以上のことが人間に起こることはないと言います。つまり赦しとは疎外の状況にあるにもかかわらず、和解されていることを意味するからです。言い換えれば、受け止めにくい人を受け止めること、つまり拒絶されている人を受容することを意味しています。一万タラントンの負債という全く持って返済不能の神様に対する罪をもった私たちが神様に受容される、その一方的な赦しが神様からあること、それが恵みであり祝福です。
私たちは毎礼拝で主の祈りの中で「我らに罪を犯す者を赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」と祈ります。私たちは常に主の御前で悔い改めに導かれているのです。神の愛によって赦された私たちは恵みと祝福に感謝し今週も主と共に歩んでまいりましょう。ハレルヤ!

田中 尚美牧師