みことばの糧1197

『神の財産分与』

ルカによる福音書12章13節~21節
 主イエスは「愚かな金持ちのたとえ」を語られました。ここから思い起こすのは、トルストイの物語、「人間にはたくさんの土地が必要か?」の短編小説です。
 昔、ロシアにパホームという働き者の農民がいました。パホームの悩みは自分の土地が少ないことでした。ある時パホームは仲間の農民とこんな話をしました。「わしらは若いときから母なる大地を耕している。ただ、なさけないのは、土地が少ないことだ! 土地さえあれば、わしは悪魔だろうと怖くないぞ!』と。
 ところが、悪魔がその話をすっかり聞いてしまいます。「そう言うならば、お前が欲しがっている土地をたくさんくれてやる。それでお前を虜にしてやるぞ」
 願い通りパホームは二倍、三倍、十倍の土地を手に入れていきます。しかし、どれだけの土地を手に入れても満足しません。ある日、パホームは遠い地方では、ほとんどただで土地が手に入るという話を聞きました。出かけていきますと、そのとおりわずかな金額で土地が手に入る、と言います。
 けれども、土地を得るためには決まりがありました。「一日かかって歩きまわった土地を得ることができる。時間は日の出から日没まで。ただし、日没までに、出かけた所にもどらなかったら、土地を得ることができない。」
 一日中歩き回って願い通り土地を得ましたが、精魂つきはてて、口から血を流し横たわったまま死んでしまいます。そして、頭から足まで入るだけの大きさの墓穴に埋められます。結局これがパホームに必要な土地であった、と言うのです。
 この物語は、主イエスのたとえ話と通ずる所があります。本当に大事な事柄を忘れていますと、他にどんなに財産を得ても、それを自分のものにすることができません。むしろ手に入れた財産によって自分自身の首を絞めるような結果に陥ってしまいます。
 パホームも、ある金持ちも、正当な方法で財産を手に入れました。悪事を働いたわけでも、誰かから盗んだわけでもありません。けれども、どんな手段で得た富かどうかにかかわらず、やがて誰もがこの地上で終わりの時を迎え、財産は皆手放さねばならないのです。
 パホームも愚かな金持ちも、地上の富に望みを置いていました。しかしそれではいけない、地上のものは何一つ、私たちが望みを置くのには十分ではないのです。神さまにのみ、私たちは望みを置いて歩みましょう。ハレルヤ!

片平貴宣牧師