みことばの糧1206

『和解の力によって生きる』

創世記45章1~8節
創世記45章は、ヨセフが真実を告白し、長らく離ればなれになっていた兄弟が再会をする感動的な部分です。ここまででヨセフは兄たちを試しました。もしも兄たちが以前のままであったら、結託をしてヨセフをエジプトに売ったかつてのままであったとしたら、再会を喜ぶことはできなかったでしょう。
しかし、兄ユダの申し出は、ベニヤミンの身代わりになるという、犠牲的な申し出でした。それを聞いたヨセフは、もう自分を制することができませんでした。家来たちを部屋の外に出した後、彼はへブル語で自分がヨセフであることを明かし、大声で泣きました。
ヨセフは兄たちに語ります。「自分をエジプトに売ったことで心を痛めないでください、全ては神さまのご計画だったのです。まだ飢饉は続くので家族もそろってエジプトへ移住してください。」
ヨセフは、全ての出来事に神さまのご計画を見いだしていたのです。とはいえ、常にヨセフが神さまのご計画を信頼して歩んでいたか、というとそうは言い切れないところもあると思います。もしかするとエジプトに売られてからは極力目を背けて、自分の見た夢については忘れて歩んでいたかも知れません。
けれども創世記42章で、兄たちが初めてエジプトに食料を買いに来た時、「ヨセフは、そのとき、かつて兄たちについて見た夢を思い起こした。」(創世記42:9)とあります。この後すぐヨセフは兄たちにスパイの疑いをかけるのですけれども、その時点ではまだ確信を得ていなかったかも知れません。
その後の兄たちの態度や、自分の置かれている立場や役割を含めて、何ができるのか、何を成すべきかを示された時、「ああ、自分は神さまによって遣わされていたのだ」と気付かされたのではないでしょうか。
ヨセフが自分の身を明かしたことで、すべては明白になりました。ヤコブも兄たちも、出来事の背後にヨセフの深い愛と神の摂理があることに気づいたのです。
それと同様、御子イエスがこの地上に誕生されたことは、神がこの世界にもっておられる計画を知らせるためだったことを、私たちは知っているでしょうか。神は私たちを愛していることを示すために、御子イエスをこの世に遣わされたのです。神さまによって成し遂げられた、かけがえのない救いの計画を受け取りましょう。
ハレルヤ!

片平貴宜