みことばの糧1207

2024年7月7日

『イエスは我が助け主』

マルコによる福音書4章35~41節
 嵐を鎮められたイエス様の奇跡を通して信仰の恵みを学びます。

ノアの箱船をはじめ、弟子たちの多くが漁師であったこと、今朝の聖書箇所の通りにイエス様もよく舟に乗られたことから、信仰と舟は深く結びついています。ですから、舟をイメージした教会、礼拝堂があるぐらいです。私たちはイエス様という救いの舟に乗って、天の御国までこの人生を航海するという信仰の表現もあります。
ところが、今朝の舟は少々、大変なことになっています。この出来事は、マタイ、マルコ、ルカ、いずれの福音書にも記録されているのですが、全て、舟に乗ろうと言ったのは、また先に舟に乗り込んだのは、イエス様となっています。弟子たちは、イエス様の呼び掛けに“応えた”、また、イエス様が先に乗り込んだので、“その後に従った”のでした。ところが、激しい突風、嵐がおこり、舟は波をかぶって、浸水し、もう舟は波にのまれ、沈没しそうになってしまったのです。ここに第一の学びがあります。

 私たちは、イエス様を信じた、イエス様に従った、もうすべてが順調、すべて順風満帆に守られる、ということではない。信仰の海に漕ぎ出した、そこからでも、大きな試練に襲われることはある、ということです。「え~、そんな!」と思うかも知れません。事実、弟子たちは、「先生、私たちが溺れても構わないのですか!」と詰め寄っています。そう言わざるを得ないぐらいの試練に遭うということです。
しかし、十二弟子はまだましなのです。マルコ福音書には「ほかの舟も一緒であった」とある。この嵐の中、イエス様が一緒に乗っていない舟もあったのです。

 第二の学びです。弟子たち、すなわち私たちは、インマヌエルの主、イエス様と同じ舟に乗っているのです。そのことを忘れないで、信仰の航海を続けて参りましょう。日常において、信仰生活において、恐れや、不平不満が募ることもあるでしょう。しかし、そもそも私たちの人生には、信仰には、イエス様が共におられるのです。もしこの嵐が信仰の試験だったとしたら、弟子たちは皆失格でした。しかし、イエス様は「なぜ怖がるのか、まだ信じないのか」と言われながらも、弟子たちではなく、「黙れ、静まれ」と風を叱り、弟子たちを守って下さいました。

 最後の学びです。イエス様は私たちを“愛して”共にいてくださるのです。ハレルヤ!

中島 聡牧師