『イエスは我が癒し主』
マルコによる福音書5章21節~34節
イエス様の癒しの奇跡を通して信仰の恵みに学びます。イエス様はガリラヤ湖を舟で移動中、嵐を静める奇跡によって弟子たちの命を守り、ゲラサ人の地方に着かれました。そこで悪霊に取り憑かれている人を癒されたのですが、それと引き換えに悪霊が約二千匹の豚の命を所望したので、その地方の人々はイエス様に出て行くように言ったのでした。本来、一人の救い、一人の命に値段は付けられないものですが、これが現実なのです。しかし、イエス様は諦めることなく、再び舟に乗り込んでカファルナウムに戻り、福音伝道を再開されたのです。
すると、会堂長のヤイロが「幼い娘が死にそうなので助けてください!」とイエス様の足もとにひれ伏して願ってきました。会堂長はユダヤ教指導者の一員であり、すでに彼らは「どのようにイエスを殺そうかと相談し始め」(マルコ3:6)ており、敵側の人ということになります。彼もイエス様に泣きついたとあれば立場が無いことでしょう。しかし、そんなことは幼い我が子の命には比べられないことでした。我が子の命の価値は無限大です。我が子を愛しているからであり、愛の本質が示されます。
イエス様は敵側の人であったとしても、その幼い子の命を助けるためにヤイロと一緒に家に向かわれました。イエス様は救いのためならば敵であろうが向かわれます。伝道の本質は愛だからです。
その道中、図らずも、十二年間、出血が止まらず、多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしてしまい、ますます悪くなっていた女性を癒されました。おそらく、彼女を助けてくれる人、彼女に価値を見出す人はいなかったでしょう。彼女は「癒していただける」と信じて、イエス様に近づいただけでしたが、イエス様は「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。ここに信仰の本質が示されています。
たとえどんなに自分の価値が信じられなかったとしても、ただ主イエス・キリストの価値を信じて拠り頼むなら救われるということです。
私たちは自分の価値をどれぐらいだと思っているでしょうか?イエス様は「あなたのためならばわたしの命を捨てても惜しくない」と言っておられます。
主は私たちの病を癒し、また死をも癒して、永遠の命を与えるためにどこまでも向かい、また待っていて下さいました。この愛を受けて、私たちもまた愛をもって福音を宣べ伝えて参りましょう。ハレルヤ!
中島 聡牧師