みことばの糧1211

『主を信じ抜く信仰』

マタイによる福音書15:21~28
 カナン人の娘の癒しの奇跡に学びます。イエス様はエルサレムから北へ200kmほど離れたティルスとシドン(フェニキア人の交易によって栄えた海洋都市国家)に赴かれました。すると、カナン人の女性が「『主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています』と叫んだ」とあります。悲痛な叫び、癒しの懇願です。会堂長ヤイロが娘の癒しのためにひれ伏して来た時、イエス様は癒しの力を漲らせて娘のところに向かわれました(マルコ5:22)。いつものイエス様なら癒されるところですが、「しかし、イエスは何もお答えにならなかった」。弟子たちも「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので」と言いました。
 異邦の地における異邦人に対して、これがイスラエル人の普通の対応ですが、愛する娘のために叫びながら追い縋ってくる母親の痛ましい姿が想像されます。しかし、なおもイエス様は「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになったのです。理解に苦しむ場面です。
母親はなおも追い縋り、弟子たちの制止を振り切って「イエスの前にひれ伏し、『主よ、どうかお助けください』」と懇願し続けました。しかし、なおもなおもイエス様は「(イスラエルの)子どもたちのパンを取って子犬(異邦人)にやってはならない」と答えます。あまりの返答です。しかし、しかし!母親は「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と、決して諦めることはありませんでした。
 そして、遂にこの母親の懇願に対して、イエス様は「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」と言われ、「その時、娘の病気は癒された」のでした。
私たちは、誰かの救いのために、これほどまでに主を信じ抜き、自分を投げ打って祈り尽くしているでしょうか。イエス様は、コラジン、ベトサイダ、ティルス、シドン、カファルナウム、多くの地にて奇跡を行われましたが、悔い改めることが無かったので「叱られました」(マタイ11:20、イザヤ23章参照)。しかし、続けて「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(同11:28)と珠玉の聖句を宣べられました。イエス様の御心は救いです。そのために自らには十字架の軛を架せられました。真の救いの福音のために、今一度、祈りを重ね自らを捧げて参りましょう。ハレルヤ!

中島 聡牧師

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